この講演集を一読して、恆存の息子としては苦笑を禁じ得ずにゐる。そして、解説を引き受けたことを甚だ後悔した。苦笑と後悔とはなにゆゑかといふと、私には何も書くことが残されてゐない――書けること、書きたいことはすべて四つの講演の中で語りつくされてゐるからだ。堅苦しい解説を書くつもりもないが、思ひ出を交へたエッセイを書くとしても、手足を縛られたやうな気分になつてゐる。これが四つの講演録を読み終へての私の正直な感想といふところだ。
文学論にせよ演劇論にせよ人間論にせよ、或いは時事問題にしても、いつの頃からか、私は意識的に父の掌(たなごころ)の上で踊つてきた。講演の中に出て来る言葉を借りれば、父との会話や生活こそが私を育てた「文化」であり、その結果、身に付けた「教養」であり、その上にそれらを武器にした私の「生き方」が築かれて来たのであつて、そこから外れるつもりは、反抗期の高校生の頃ですら、私には毛頭なかつた。外れることができたとしたなら、それこそ大問題で、私の来し方全てが欺瞞であり偽物だといふことになりかねない。恆存はこの講演集でもさう繰り返し語つてゐるのではないか。恆存の話が「過去」や「歴史」に繰り返し及ぶのは、さういふ欺瞞や虚偽に陥るなと言はんがためではないか。
私には私の生まれ育つた家庭といふものがあり、そこに「附合ひ」があり、「他者」としての家族の目を通して自分を見るといつた無意識の営為があり、その結果として一つの過去や歴史を背負つた人格が形成されていく。家庭と個人との関係においてであれ、社会と個人との関係においてであれ、全体感覚と部分としての存在といふ絶対に不可分の領域で何らかの「カルチュア」を、人間は誰でも背負つて生きる。その「カルチュア」つまり培養・耕作の結果としての「教養」を育んだ家庭や社会の「過去」や「歴史」を否定することは無意味どころか傲慢だといふことにならう。その「過去」に寄り添ひ、その「歴史」に学べと恆存は繰り返し言ふ。
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弓を引く福田恆存
2009.04.13文春写真館 -
零戦神話と大日本帝国の崩壊
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『リーダーの言葉力』文藝春秋・編
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