2011.06.20 書評

婚約指輪も墓も買えない時代の冠婚葬祭マニュアル

文: 島田 裕巳 (宗教学者)

『冠婚葬祭でモメる100の理由』 (島田裕巳 著)

 塩月弥栄子さんの『冠婚葬祭入門』と言えば、戦後を代表するベストセラーで、続編を含め700万部売れたとされる。この本が出版されたのは1970年のことで、この年には、戦後の高度経済成長の頂点をなすイベントとなった大阪万国博覧会が開かれている。ベストセラーの誕生は時代の動きと連動している。『冠婚葬祭入門』も別の年に刊行されていたら、大ベストセラーにはならなかったかもしれない。

 1950年代の半ばからはじまる高度経済成長は日本の社会を大きく変えた。産業構造の転換が起こり、都市で勃興した工業やサービス産業の労働力として地方から都市への大規模な人口移動が起こった。東京や大阪といった大都市部には地方から出てきた人間があふれた。その多くは単身者だったが、やがて彼らも結婚し、家庭をもうけるようになる。そうなると冠婚葬祭の機会に接することが多くなった。

 しかし、さまざまな地域から出てきた人間たちが作る都市社会では、皆が共通して従うことのできる冠婚葬祭のしきたりがまだ確立されていなかった。そうした状況のなかで、『冠婚葬祭入門』は新しい都市住人に対して、都市生活にふさわしいしきたりを教える役割を果たした。だからこそこの本は大いに歓迎されたのである。

 それからすでに40年以上の歳月が流れ、時代も社会も大きく変わってきた。高度経済成長はすでに過去のものとなり、低成長、あるいは安定成長の時代が続いている。冠婚葬祭と大いに関係する少子高齢化という事態も、1970年には誰もがまだ想定していないことだった。

『冠婚葬祭入門』の本を開いてみると、まず結婚の章があり、見合いにまつわるしきたりについて延々と項目が続いていく。結婚式自体のしきたりについても、式を挙げる側や参列者がどういった服装をすればいいかに重点がおかれている。葬式についても、その一般的な流れが解説され、参列する際の注意点などが主に記されている。

 重要なのは、冠婚葬祭のしきたりをしっかりとわきまえているかどうかで、その場でいかに恥をかかないですむかが関心の中心だった。「いざというとき恥をかかないために」という本のサブタイトルは、まさに当時の人々が求めるところを巧みに表現していた。

 現在では、恥をかかないということにはそれほど関心が注がれていない。一応のしきたりならガイドブックに示されているし、インターネット上の相談コーナーのQ&Aを見れば分かるからだ。

 そして、何かとしきたりがうるさい見合い結婚は廃れ、結婚式に着るドレスなら、誰もが1着や2着はもっている時代になった。葬儀にかんしても、葬儀社に任せれば、しきたりを知らなくても困らない状況が生まれている。

冠婚葬祭でモメる100の理由
島田 裕巳・著

定価:767円(税込) 発売日:2011年06月20日

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