父は不意にいなくなりました。「またいつもの癖が出た」と母はいいました。私も何日かすれば、帰ってくるだろうと期待していたのですが、二人の見込みは外れ、一週間経っても父は帰りませんでした。父は本気だったことに私たちは遅まきながら気付きました。
事故に遭ったのではないか、自殺か心中でも図ったのではないか、と母が心配し始めました。警察に捜索願を出そうとした矢先に、一人の訪問者がありました。父が帰ってきたと思い、私は母と競うように玄関に出ました。父でも警官でもなく、セールスマンでもありませんでした。私はその訪問者に見覚えがありました。神楽坂の寿司屋のカウンターに座り、父の話に笑っていたあの客でした。
──私は白草蔵人さんの友人で花岡時雄という者です。医師をしています。ご家族の面倒を見るように頼まれました。
その人が自己紹介していることはわかりましたが、家族の面倒を見るということの意味が全くわかりませんでした。母と私の与り知らぬところで、父は花岡という人と密約を交わしていたに違いありません。あの日、私を寿司屋に連れて行ったのは、私を花岡に面通ししておくためだったのでしょう。ふと母の横顔を見ると、ほんのり頬が赤くなっていました。母も花岡と初対面というわけではない様子でした。
花岡は父から預かったという一通の手紙を私たちに見せてくれました。そこには紛れもない父の筆跡で、こう書かれていました。
早晩、家も家財道具も差し押さえられる。住み慣れた家を離れるのはつらいだろうが、これからは花岡さんを頼って、生きてくれ。私の借金も絵も家族も全部、彼が引き受けることで、彼とは話がついている。花岡さんとよく話し合って、君たちの希望を叶えてもらいなさい。彼は私の九倍いい人だ。
文面の最後には絵にするのと同じサインと落款がありました。ふざけた契約を交わしたものです。妻も娘も家財道具と一緒のつもりなのでしょうか? 家族に内緒の借金は一体どれくらいあったのか知れません。私たち親子がその手紙から顔を上げると、花岡が微笑んでいました。
──父は何処へ行ったんですか?
私が訊ねると、花岡はこう答えました。
──私も知らない。彼を探さない約束を交わしたので。
今度は母に聞きました。
──この家を出ていかなければならないの?
母の眉間の皺は消えていました。何か観念したように、ため息をつくと、私に説明しました。
──この家はとっくの昔から抵当に入っていた。私たちは去年から花岡さんの援助なしでは暮らしていけなかったのよ。
花岡は否定も肯定もせず、寿司屋で会った時と同じ、爬虫類の目で、黙って私たち親子を見ていました。爬虫類の考えていることはわかりませんが、母はもう花岡に従う覚悟ができているようでした。
私が生まれ育ち、父と暮らした小さな庭付きの家を離れたのは、父が行方をくらましてから二週間後のことでした。住み慣れた眠りが丘を去り、私たちは花岡の家に引っ越すことになりました。十三歳の秋、大安の日のことです。
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