書評

『儲けすぎた男 小説・安田善次郎』解説

文: 末國 善己 (文藝評論家)

『儲けすぎた男 小説・安田善次郎』 (渡辺房男 著)

 日本社会では、時折“時代の要請”としか思えないほど、同じ時期に、同じ歴史上の人物が注目を集めることがある。例えば、日本がバブル崩壊後の不況に苦しんでいた一九九〇年代は、童門冬二『北の王国』、中村晃『直江兼続』、風野真知雄『われ、謙信なりせば』など、直江兼続を主人公にした歴史小説が数多く書かれた。これは関ヶ原の合戦の敗北で石高を四分の一に減らされながら、家臣を首にしなかった兼続を取り上げることで、リストラで経営危機を乗り切ろうとしていた当時の経営者に異議を申し立てたいという、時代の空気が働いた結果であろう。

 こうした状況は、安田善次郎でも起きている。善次郎は、安田財閥を一代で築き上げた立志伝中の人物で、東京大学の安田講堂や日比谷公会堂を寄贈するなど社会貢献にも熱心だったが、一九二一年九月二八日に、朝日平吾の凶刃に倒れた。

 平吾が、「不正と虚偽の辣手を揮って巨財を吸集し、なんら社会公共慈善事業を顧みず人類多数の幸福を壟断し、ために国政乱れ国民思想悪化せんとす」(「大阪毎日新聞」夕刊一九二一年九月三〇日)といった内容の「斬奸状」を持ち、「東京日日新聞」が「犯人朝日平吾に同情集まる」(一九二一年一〇月二日)と報じているように、その内容が一定の支持を集めたため、善次郎には“守銭奴”との悪評も根強かった。

 善次郎の再評価が一気に進んだのが二〇一〇年頃で、砂川幸雄『金儲けが日本一上手かった男』、由井常彦『安田善次郎』、北康利『陰徳を積む』など、善次郎に関する評伝や小説が矢継ぎ早に刊行されたのだ。そして、経済の視点から近代史を問い直している渡辺房男が、『円を創った男』に続く経済歴史小説の第二弾として二〇一〇年に刊行した本書『儲けすぎた男』も、善次郎の実像に迫った作品となっている。

 父親が苦労をして富山藩の士籍を手に入れた安田家に生れた善次郎は、少年時代に、藩に金を貸している大坂の米問屋が、武士に頭を下げさせている姿を目撃。武士らしく生きることを求める父とは裏腹に、これからは「金の力」がものをいう時代になると確信し、江戸へ出て商人になる決意を固める。そして物語は、露天商をして資金を貯めた善次郎が、銭両替店「安田屋」を開業するところから始まる。

 江戸時代の貨幣は「両」「分」「朱」に分かれ、四進法だったので、一両=四分=十六朱となっていたが、これは江戸を中心とする金貨による計算で、上方は「匁」で計る銀貨で動いていた。庶民が高額な金貨や銀貨を手にしても、日常生活で利用する小売店では使い勝手が悪いので、すぐに「文」「銭」が単位の銭に両替していて、金─銀─銭の交換レートは日々変動する複雑なシステムになっていた。

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儲けすぎた男
渡辺房男・著

定価:630円(税込) 発売日:2013年09月03日

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