善次郎が開いた銭両替店は、庶民向けに高額貨幣を銭に両替する商売で、変動する銭相場による利鞘と両替の手数料が利益になる小商いだったのである。
ただ、銭両替の利幅が少ないことを熟知していた善次郎は、同業者が少ない地域に重い銭を運ぶ行商までして、顧客の信用を獲得していく。
やがて江戸でも名を知られる両替商になった善次郎は、財政難にあえぐ幕府から、金銀の含有量の多い古い貨幣を回収し、金銀の量を減らした新しい貨幣に置き換える仕事を依頼されるまでになる。しかし時は幕末、江戸幕府の崩壊が近いと確信していた善次郎は、この仕事を受けるべきか否か悩み抜くのである。
この後も善次郎は、「安田屋」を巨大金融グループに育てるまでに、何度も難しい決断を迫られる。その中でも乾坤一擲の大勝負が、太政官札の買い占めである。
戊辰戦争の戦費を調達するため新政府が発行した紙幣・太政官札は、まだ内戦が続いていたことや、日本人が紙幣に書かれた価値を政府が保証する信用貨幣に慣れていないこともあって、額面以下の価格でしか使えなかった。善次郎も太政官札の扱いに苦慮していたが、父の「──力を持った者は、必ずその力で人をねじ伏せるものだ」との言葉を思い出し、政情が安定すれば、政府が強権を使って太政官札を額面で使うことを命じると考え、同業者から冷笑されながらも値を下げた太政官札の買い占めを決断する。
読みが当れば巨万の富を得る反面、自分の判断が間違っていれば店を失い、従業員を路頭に迷わせることになる瀬戸際に立たされた善次郎の葛藤は、ビジネスの経験があれば思わず共感してしまうのではないだろうか。
善次郎は、太政官札と新紙幣ゲルマン紙幣の交換、国立銀行(政府の認可を受け、資本比率に応じた紙幣の発行権も持っていたが、純粋な民間銀行)の設立、維新後に職を失った士族を救済するために発行された公債の買い占めなどでも難しい決断を迫られるので、最後までスリリングな展開を楽しむことができるはずだ。ちなみに、著者はゲルマン紙幣発行前後の混乱を、『ゲルマン紙幣一億円』に書いているので、本書と読み比べてみるのも一興である。
現在の大手銀行の預金金利、住宅ローンの金利がほぼ横並びである事実からも分かるように、日本の企業は同業他社と違ったことをするのを嫌う傾向が強い。だが善次郎は、同業者と友好な関係を維持しながらも、自分が集めた情報を冷静に分析し、勝負時には一気呵成に攻め、辛抱すべき時はじっと耐えてチャンスをものにしていった。この的確な判断は、現代のビジネスにも役立つように思える。
だが本書は、単なるサクセスストーリーではない。
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