物語はこうして笹尾らが関係者を訪ね、現場を歩く作業を繰り返す中で、意外な展開を見せる。彼らの取材活動が触媒となって、驚くべき事件の真相があぶり出されるのだ。
繰り返すが、本作に“スーパーマン”は登場しない。トリックを包み込む設定や人物描写のリアルさが、作品のバランスをとっているわけだが、実は、この作品の下敷きとなった現実の事件はそうではない。こちらは丸っきり反対に、たったひとりのスーパー取材者が真相に肉薄した、世にも珍しいケースなのである。
本作がモデルとした「北関東連続幼女誘拐殺人事件」は、十年余にわたって群馬・栃木県境で発生した四つの事件だが、これらが一連の事件と捉えられたのは、最後のケースから十七年も経ったあと、清水潔(きよし)という日本テレビの記者が着目し、初めて浮かび上がったことだった。
さらに“出来すぎた話”だが、この記者はそれ以前にも歴史的な大金星を挙げている。
写真誌『フォーカス』の記者だった時代、あの「桶川ストーカー殺人事件」で、いち早く実行犯を突き止めて警察に情報を提供、不手際を揉み消そうとした警察の不祥事をも暴いてみせたのだ。
その後、日テレに転職した記者は、北関東の事件を丹念に洗い直し、そのうちの一件「足利事件」の犯人として逮捕され、無期懲役刑に服していた人物の冤罪を確信する。そして、複数の目撃証言やさまざまな状況に合致する別人物を独力で見つけ出し、真犯人である可能性を報道したのだった。
捜査の誤りを認めたがらない警察の体質や、時効の壁に阻まれて、新たなる容疑者の黒白は決着がつかずに終わったが、足利事件に関しては、清水記者の報道をきっかけに改めてDNA鑑定が検証され、服役囚は再審無罪となり自由を勝ち取った。
新聞やテレビの組織ジャーナリストもフリーの記者たちも、凶悪事件の現場ではただひたすら、靴底をすり減らし、「地取り」と呼ばれる聞き込みを重ねる。事件発生から間もない段階では、時に断片情報を先取する幸運にも恵まれる。それでも、事件の全容解明を警察に先んじることは、現実にはまずないと考えていい。
ところがこの清水記者は、愚直な地取りと的確な分析能力で、一度ならず二度までも、それを成し遂げてみせたのだ。
付け加えるならば、本作の笹尾時彦や高島百合子、あるいは実在の清水潔記者のように、取材者の地道なアプローチによって、事件関係者が少しずつ心を開いてゆく、という流れは、決して世間一般が想像するほど珍しいことではない。
事件発生直後こそ、「メディアスクラム」と呼ばれる集中砲火的な取材攻勢が、関係者に忌避感を引き起こすが、時が経ち、取材者の誠実さが伝われば、そうした関係が様変わりすることも往々にしてある。
つまり、対象との人間関係の構築を拠り所とするノンフィクション取材では、本当の勝負は騒動が落ち着いて、現場付近から報道陣が消えてから始まるのである。その意味でたったひとり、十年以上前の事件を掘り起こした清水記者の手法は、組織ジャーナリストと言うより、極めてノンフィクション的なやり方に思われる。
ちなみに彼の回顧には、電話による最初のコンタクトで、取り付く島もなく激高し、メディア批判を浴びせてきた関係者が、のちに一転して重要な情報提供者となったいきさつが紹介されている。
迷宮入りしそうな事件で、被害者の家族や関係者、あるいは現場近くに居合わせた人々などの胸中には、何とかして真相を知りたい、という気持ちもまた、人一倍強いものなのである。
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