前作『永遠の旅行者』が山本周五郎賞候補にも選ばれた橘玲さんの最新作『亜玖夢(あくむ)博士の経済入門』。五本の短編による連作の形を取っているこの作品の主人公は、長年の学究生活で得た知識のすべてを傾け、新宿歌舞伎町裏の研究所で「民衆救済事業」に乗り出した亜玖夢三太郎(あくむみたろう)博士。多重債務、いじめなどの悩みを抱えた相談者たちは、「相談無料。地獄を見たら亜玖夢へ」というチラシを手に博士の研究所を訪れ、博士は、行動経済学、社会心理学などを基に救済のための処方箋を作成する。そして、助手のリンレイと秘書のファンファンが、その処方箋に沿って相談者の悩みを解決しようとするのだが……。
――新作『亜玖夢博士の経済入門』は、『マネーロンダリング』、『永遠の旅行者』という橘さんのこれまでの小説とは、かなり雰囲気が異なり、ブラックユーモア満載の作品になっていますね。
前の二冊はハードボイルドなミステリーに、金融の裏ノウハウを押し込みました。今回の場合は、スラップスティックな感じに経済理論を当てはめたらどうなるかなというのが最初のイメージでした。やさぐれた経営コンサルタントの所に相談者がやってきて、という感じで書いてたんですが、どうも話がうまく進まなくて。あれこれいじっているうちに、コンサルタントが亜玖夢博士のようなキャラクターになっていったんです。
――博学の奇人である亜玖夢博士というキャラクターが生まれたことで、作品全体の方向性も決まっていったわけですね。
そうですね。現代社会の典型的な悩みごとを経済学的に解釈したら、どうなるのかという話なので、「行動経済学」などのテーマと、相談に来る人の大雑把なイメージがまず先にあり、それからキャラクターを決める段階でデフォルメしました。ここまで飛んでるキャラクターの方がいろいろと自由に書けていいじゃないですか(笑)。
――第一講「行動経済学」では、多重債務で悩む青年が借金を重ねる過程でとってきた行動を、博士が行動経済学によって完全に説明してしまいます。日常生活にまったく無縁だと思っていた学問の理論で、日常的な思考パターンを説明できることに驚かされました。
他の話に出てくる理論もそうなんですが、経済学の理論は複雑怪奇なことを言っている訳ではなく、私たちが日常的に認識していることに理論的なバックボーンを与えているんですね。普段の言動が理論で説明できるところが面白いんですよ。
――なるほど。「得するときの嬉しさよりも損するときの悔しさをはるかに大きく感じる」や「目の前の出来事を過大に評価し、将来の出来事を過小評価する」という人間の傾向についても大変納得してしまいました。これらも行動経済学の理論で説明されることなんですね。
基本的な脳の構造がそうなっているから、誰もそこからは逃れられないんです。損する大きさを過大に感じたり、目の前の事が大事っていうのは、石器時代はそうじゃないと生き残れなかった。先のことを考えてたら、死んでしまう世界。その後、文化は進化しても、脳の構造はそれほど進化していない。石器時代の脳の構造で二十一世紀の文化に対応しようとしているので、そのギャップが出てくるんです。
――安全な世の中なのに、必要以上に焦ってるところがあるわけですね。
そうです。だから、ボーッとしてると私たちは石器時代の思考回路で行動してしまう。行動経済学の理論を知っておくと、それを自覚できるんですよ。ただ、この相談者はそういう理論を説明されても、同じように借金を重ねていくんですが(笑)。
――第二講はゲーム理論の中の「論理的に正しい答えが誤った結果を導く」という状況、「囚人のジレンマ」がテーマになっています。その内容については、本書を読むことですぐに理解できるのですが、これは元々、どんな時に使われる理論なんでしょうか?
もともとは軍事理論で、冷戦初期にアメリカがソ連に原爆を落とすべきか検討した時に使われたんですよ。抑止戦略として、どっちが先に裏切るかという。それが日常生活に応用される形で広まっていったんです。
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ソロスから学んだこと
2014.05.28書評
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