「あなたの好きに書いていいのよ」
解説という大役にびびる私に、藤堂さんはそう言った。
「ほんとですか? これは実話ですってばらしてもいいんですか?」
「いいわよ。もうこの歳になると隠しておきたいことなんてなにもないもの。……いま、私、驚いちゃった。ほんとうにひとつもないんだもの」
さばさばとしつつもかすかな憂いを帯び、しかしなにより面白がっている声音に聞こえた。
こうして私は「なにを書いてもいい」というお許しを得たのである。
隠すことはなにもない、と言いきったホワイトデー生まれの六十四歳・藤堂さんだが、作家としての藤堂志津子は謎めいた存在だと思う。まずテレビには出ない、雑誌や新聞に作品以外で取り上げられることにも消極的で、目立つことや注目されることを避けている。そのため、藤堂志津子というと「気難しい」「変わり者」といったイメージを持つ人もいるようだ。実際、藤堂さんが暮らすここ札幌では「藤堂志津子が○○にご立腹」「藤堂志津子が△△でご機嫌斜め」など都市伝説的な噂が流れたりもする。
しかし、謎めいていても存在は知られているし、札幌は狭いまちだ。ところが、藤堂さんにはその認識がない。
ある日の電話で、藤堂さんはこんなことを言いだした。
「デパ地下のパン屋さんね、最近、試食させてくれなくなったのよ。以前は、試食のパンがたくさんあって、それだけでお腹いっぱいになったのに、やっぱり不景気なのかしらね」
「……藤堂さん、そんなに試食してるんですか? もうちょっと直木賞作家としての自覚を持ったほうが……」