本書『隣室のモーツアルト』は、藤堂さんの実体験が投影された短編集だ。
愛犬を失って街中をさまよう「おもかげ」の月子をはじめ、トマトと新タマネギと卵を入れたノンフライラーメンにうっとりとする「わたしの叔母さん」の立子など、それぞれタイプのちがう主人公ではあるが、そのどれもに藤堂さんの一面が現れている。
しかし、私はまだまだ甘ちゃんだった。この短編集のなかで唯一、進行形の恋愛が描かれた「好きよ。すきなの」だけはフィクションだと思っていたのだ。そ、れ、な、の、に! この作品も実話がもとになっていたとは! 主人公の青伊と十歳下の恋人・周介にモデルがいたとは! 藤堂さんいわく、その男性は藤堂さんの最後の恋人で、恋愛の集大成だった。当時、藤堂さんは四十八歳だったという。
「えーっ。じゃあ、相手は十歳も年下だったんですか?」
「ううん、十二歳、下だったわね」
想像してはいたのだ。藤堂さんはかなりの恋愛を経験してきただろう、と。しかし、藤堂さん自身はあまり語りたがらず、さすがに私も「ところで、あっちのほうはどうだったんですか?」なんてことは聞けないので謎の領域だったのだ。
藤堂さんはこの最後の恋愛で「苦しみ、じたばたした」らしい。青伊も、周介を愛するがゆえに、苦しみ、じたばたする。しかし、作品中に漂うのは、そんな自分の愚かさや必死ささえも冷ややかに観察する魔女のまなざしだ。衝撃的な結末は、どれほど激しい熱情も執着も、所詮は年月とともに消え、人々の記憶にさえ残らないという残酷さに満ちている。
表題作の「隣室のモーツアルト」は、藤堂さんの人生がもっとも色濃く反映された作品だと言えるだろう。そして、読者の年齢や環境によって感じ方の深度がまったくちがうと思う。半身不随の母をひとりで介護しなければならない主人公の多花子。自らのがんが唯一の逃げ場所となるほどの極限状態。多花子は、老いた母に〈私の人生のじゃまをしないでよッ〉と思う。母が倒れてからの年月を頭のなかでののしり、呪い続ける。怒り、嫌気、あがき。そこには救いの光などないのに、多花子は絶望に浸りきることはしない。人間ってこんなもの、人生ってこんなもの、という底のないあきらめをまとっている。多花子以外の三人がこの世を去った十年後という結末は、淡々としているがゆえに残酷さが際立つ。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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