名を売ろうとか金を儲けようとかではない。朝顔を心から慈しんだ人だけが“朝顔からの褒美”として咲かせられるという黄色花をいつか見たい、咲かせたい。それだけが夢という男なのだ。
そんなぼんくら同心が、朝顔がとりもつ縁でいつの間にか幕末の大政変に巻き込まれていく──という展開になるから驚く。
興三郎はある日、ひょんなことから身分の高そうな武家と知り合い、朝顔を介した交流が始まる。なかなかの風流人で、興三郎は彼との時間を楽しく過ごすのだが、実はこの武家が、それこそ歴史年表に名を刻む実在の人物なのである。
この武家と興三郎は、身分は違えどともに長男ではなく、家を継がない自分は何をなすべきかを探しながら生きてきた。これだ、と思った矢先に事情が変わって家督を継ぐことになったのも同じである。ともに悩みがあった。迷いもあった。そんなふたりにきっかけを与えたのが朝顔だ。黄色の朝顔を咲かせるという夢だ。武家は庭の朝顔を見ながら興三郎に言う。
「お主は懸命に作れ。(中略)儂は、儂の為すべきことを恐れずやろう。ふたりで朝顔から褒美をもらおうではないか」
このあたりになると、読者はこの武家が誰なのか見当がついてくる。見当がつけば彼のその後の運命もわかる。「儂の為すべきことを恐れずやろう」とは何のことか、その結果何が起きるのか、読者は登場人物よりも先に知る。そして巷間伝えられているこの人物像とは趣が違うことに驚くだろう。これが冒頭に書いた歴史小説というジャンルの特徴である。
ここで、話の先を知っているというハンデが一転、強みになる。彼が誰でどうなるか分かっているからこそ、この武家の心根と信念に心打たれる。運命を知っているからこそ、このあと随所に登場する武家のセリフひとつひとつに、読者は彼の壮絶な決意を感じ取ることができるのである。
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