──『象牙色の賢者』は、奴隷の息子から将軍にまでなりあがったデュマ将軍を描いた『黒い悪魔』、その息子で『三銃士』や『モンテ・クリスト伯』の作者として世界文学史上に名を残す文豪、アレクサンドル・デュマを描いた『褐色の文豪』につづく三部作の最後となる作品で、父と同じアレクサンドルという名前を持ち、職業も父と同じ作家になって父がデュマ・ペール(大デュマ)と呼ばれたのに対しデュマ・フィス(小デュマ)と呼ばれた男の生涯を描いています。祖父と父に、ともに歴史上の偉人をもったデュマ・フィスとはどんな人物だったのでしょうか。
佐藤 非常に複雑かつ繊細な内的世界をもった人物だったと思います。実際、彼の人生をみてゆくとなにか特別なことをしたというわけではなく、作品も後世に残っているのは『椿姫』くらいしかありません。もちろんこれだけ知られた作品を残したわけですから、それだけでも優れた作家ですが。彼は戯曲や小説、エッセイと他にも多種多様な作品を書いていて、いわば近代文化人の雛形(ひながた)のような人物でもあるわけです。
──なぜ彼は父と同じ職業を選んだのでしょうか。巨大な成功をおさめている父をみて、無意識のうちに避けようとは思わなかったのでしょうか。
佐藤 やはり父が素直にあこがれの存在であったのでしょう。ただ父と同じ職業を選んだのは、彼が愛人から生まれた私生児であったということも大きく影響していると思います。そのコンプレックスから、父に同化したいという思いが強くなったのではないかと思うのです。たとえばデュマ・ペールには強烈に書きたいことがあって作家になったという印象があるのですが、デュマ・フィスの場合はとにかく作家になりたくて書いたという感じがします。デュマ・ペールは父が戦場でやった冒険を自分自身はできないので、紙の上でそれをやった。常に欲求不満があり、その満たされないものを小説世界に求めていったわけです。ところがデュマ・フィスは、自分の生活に完全に満足していたと思います。そうした背景の違いが、二人の創作へ向かう姿勢をまったく違うものにしています。
ある意味、まえの二代はめちゃくちゃな人生をおくっています。そこへいくとデュマ・フィスはまっとうで善良な市民になろうと努力しています。ところが面白いことにそれがうまくいかずに破綻してしまう。例えば自分が私生児であることにコンプレックスを感じていたのに、私生児の子供を作ってしまうわけです。こういったところが、やはりデュマ家の血が流れているのだなと。根っこのところは同じだったからこそ、彼も名を残したのかなと思う所以です。