八月三十日の衆院選を控え、ある中国政府の対日当局者はこうつぶやいた。
「中南海(政権中枢)に向けて日本や日中関係の重要性を示せるチャンスです」
政権交代の懸かった衆院選について自分たち「ジャパンスクール」の存在感を、胡錦濤国家主席ら指導部にアピールできるまたとない好機ととらえているのだ。そのため選挙分析・予測や政局動向を上層部向けに積極的に報告しているという。
中国外務省内部で対日関係を扱う日本課と言えば、「花形」である。しかし日本の長引く景気低迷、首相がころころ代わる不安定な政治、そして何より中国の台頭により、国際社会の中で日本の地位や影響力は相対的に低くなった。これに伴い、彼らの存在感も低下し、逆に対米当局者や国連など国際機関担当者の存在感が増した。
首相が代わろうとも、政権与党が代わろうとも、常に対日関係を安定させることが対日当局者の使命である。今夏の衆院選こそ、「日本」が目立つチャンスなのだ。
対日当局者たちはこれまで自民党との関係だけでなく、民主党とのパイプづくりにも力を入れてきた。中国外務省の対日当局者らの多くは「既に深い関係にある自民党の方がやりやすい」と話すが、与野党問わず、「全方位外交」を展開してきた。
特に政党間交流を担当する共産党対外連絡部は「民主党政権」も視野に工作を進めてきた。今年二月に来日した王家瑞・対外連絡部長は与党交流が目的だったにもかかわらず、麻生太郎首相より小沢一郎・民主党代表(当時)と長く話し込んだほどだ。
民主党政権が誕生したとして、中国の対日工作の手法に変化は出るのか――。答えは「ノー」だろう。
日本に一人でも多くの「親中派」をつくり、日本国内を中国と友好的な雰囲気にするという対日工作の基本は毛沢東時代から一貫しているからである。
十月に建国六十周年を迎える中国にとって日本は利用価値が高かった。一九五〇年代は米国による対中封じ込めを崩すため、米ソ対立が激しくなった七〇年代にはソ連を牽制するため対日接近を図った。中国が改革・開放を本格化させた八〇年代、日本は経済協力を獲得できる相手になった。一方、天安門事件を経て九〇年代以降、共産党の求心力が失われる中、日本に侵略された屈辱の近代史が前面に出され、愛国教育の名の下、ナショナリズムを高揚させるため矛先を「日本」に向けた。
しかし二〇〇五年の反日デモで国内は不安定化した。インターネットを通じて狭隘(きょうあい)な愛国主義を爆発させる「憤青 (フェンチン)」(怒れる青年)の目に、政府の対日政策が「弱腰」と映ると、その不満は日本ばかりか、指導部に向かうことを胡主席は思い知った。
歴史問題が横たわる日中関係の複雑さは、両国民の相手国に対する感情を良好にして初めて安定する点にある。いずれか一方で対中(または対日)感情が悪くなると、ぶつけられた相手側も反発する構図なのだ。
こうした中で毛沢東主席以下、中国指導部が一貫して重視し、こだわり続けているのが「元首」とみなす天皇陛下だった。中国における日中関係の文献にはこうした記述がある。
「日本の首相は絶えず代わるが、天皇は終始在位している。日本の普通の国民や子供は日本の首相の名前を知らないことがあっても、天皇のことは心に刻んでいる」
天皇を取り込めば、日本国民の心をつかめることを熟知し、毛沢東は五〇年代から北京に日本の要人が来ると、「天皇陛下によろしく」と繰り返した。
毛の天皇観は特異かつ戦略的だ。毛が日本人と接し、初めて一定の天皇観を持つようになったのは日中戦争時に捕虜となった日本人兵士や、革命根拠地・延安で日本人捕虜の「教育」に携わった日本共産党の野坂参三を通じてである。そこで毛は日本人兵士らの天皇・天皇制批判への拒否反応が強いことを認識、日本人にとっての天皇の重さを身に染みて分かったからこそ、対日工作において天皇を敵に回すことは得策でないと痛感したのではないだろうか。
中国にしても日本の首相の交代劇には慣れたが、今夏は政権与党まで代わる可能性があるのだ。しかし「万世一系」の天皇を取り込めば、対日関係を安定させることができる。「天皇訪中が実現すれば反中勢力が中日友好に反対する根拠を失うことになる」という論理だ。昔から「対中侵略戦争の元凶」と表向きは位置付けながらも、実は昭和天皇の訪中にこだわるという相矛盾した天皇観を持ったのはこのためだ。
胡錦濤は来年、横浜で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席するため来日する。そして中国指導部は、国交正常化四十周年の二〇一二年、同三十周年時や北京五輪で実現できなかった皇太子ご夫妻の訪中を招請するだろう。日本の政治が不安定化すればするほど、天皇の重みは増すのである。


