書評

天皇の重み

文: 城山 英巳 (時事通信外信部記者)

『中国共産党「天皇工作」秘録』 (城山英巳 著)

  しかし二〇〇五年の反日デモで国内は不安定化した。インターネットを通じて狭隘(きょうあい)な愛国主義を爆発させる「憤青 (フェンチン)」(怒れる青年)の目に、政府の対日政策が「弱腰」と映ると、その不満は日本ばかりか、指導部に向かうことを胡主席は思い知った。

   歴史問題が横たわる日中関係の複雑さは、両国民の相手国に対する感情を良好にして初めて安定する点にある。いずれか一方で対中(または対日)感情が悪くなると、ぶつけられた相手側も反発する構図なのだ。

   こうした中で毛沢東主席以下、中国指導部が一貫して重視し、こだわり続けているのが「元首」とみなす天皇陛下だった。中国における日中関係の文献にはこうした記述がある。

「日本の首相は絶えず代わるが、天皇は終始在位している。日本の普通の国民や子供は日本の首相の名前を知らないことがあっても、天皇のことは心に刻んでいる」

   天皇を取り込めば、日本国民の心をつかめることを熟知し、毛沢東は五〇年代から北京に日本の要人が来ると、「天皇陛下によろしく」と繰り返した。

   毛の天皇観は特異かつ戦略的だ。毛が日本人と接し、初めて一定の天皇観を持つようになったのは日中戦争時に捕虜となった日本人兵士や、革命根拠地・延安で日本人捕虜の「教育」に携わった日本共産党の野坂参三を通じてである。そこで毛は日本人兵士らの天皇・天皇制批判への拒否反応が強いことを認識、日本人にとっての天皇の重さを身に染みて分かったからこそ、対日工作において天皇を敵に回すことは得策でないと痛感したのではないだろうか。

   中国にしても日本の首相の交代劇には慣れたが、今夏は政権与党まで代わる可能性があるのだ。しかし「万世一系」の天皇を取り込めば、対日関係を安定させることができる。「天皇訪中が実現すれば反中勢力が中日友好に反対する根拠を失うことになる」という論理だ。昔から「対中侵略戦争の元凶」と表向きは位置付けながらも、実は昭和天皇の訪中にこだわるという相矛盾した天皇観を持ったのはこのためだ。

   胡錦濤は来年、横浜で開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席するため来日する。そして中国指導部は、国交正常化四十周年の二〇一二年、同三十周年時や北京五輪で実現できなかった皇太子ご夫妻の訪中を招請するだろう。日本の政治が不安定化すればするほど、天皇の重みは増すのである。

中国共産党「天皇工作」秘録
城山 英巳・著

定価:798円(税込) 発売日:2009年08月20日

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