模倣と盗みの裏側で
だって、彼女は、みかけだけでなく、心や能力ごと相手になりきってしまうのだ。それはものすごい才能のはずだ。模倣する作品(なりきる相手)を選ぶ眼力も相当なものだ、というのが、初めて『人間昆虫記』を読んだときの感想である。20年以上も前になる。
繰り返し読んだ『人間昆虫記』のなかで、わたしがもっとも面白かったのは、十村十枝子がひとの作品を模倣したり盗んだりして、まんまと成功していくようすだった。どうかばれませんように、と願う反面、ばれてしまえばいいのに、と思ったり、世間をあざむいていることに痛みを感じる裏側で、世の中なんてちょろいものよね、と鼻で笑いたくなったりした。
だが、彼女が成功に至る(他者になりきる)過程、分けても具体的な方法は、さのみ厚く描かれていず、わたしは、いつも、そのあたりをもっとくわしく読みたい、と思っていた。できれば、いつか、書いてみたい、と。
そのときがきたら、十村十枝子の正体を「つまらない平凡な女」にはしたくない、と考えた。実際はそうであっても、本人の意識は「特別な人間」であるようにしたい。いやいや、でも、やっぱり本能で行動しちゃうっていうのも捨てがたいんだよなあ――。
ひそかな愉しみごととしてあれこれ考えていた話を、編集者に言ってみたら、書かせてもらえることになった。
連載開始にあたり、改めて読み返したら、実家の自室で眠る十村十枝子のすがたが、強く心に残った。レコード、オルゴール、スカーフ、パンタロン、手袋、ネグリジェ、リボン、人形、コップ、造花、クジャクの羽根、カン切り……。まる1ページを使って、彼女の部屋にあるものが描き込まれていた。
地方都市に住む女の子のあこがれが手当たり次第に集められた部屋だと感じた。わたしにもそのような部屋があった。胸の奥に、きっと、あった。
そんな秘密の部屋で女の子は夢をみる。欲望を育て、自意識を太らせる。やがて、しわくちゃのちいさな羽根を大きく広げられる場所を探し、ついに行動しはじめる、とイメージがまとまった。同じころ、見せびらかす、自慢するという意味の上代語「てらさふ」を知り、おおよその筋ができた。
ふたりの女の子がユニットを組み、まんまと成功する話である。彼女たちの業績はふたつきりだから、十村十枝子には及ばないけれど、「過程」や「具体的な方法」を気の済むまで書いたので、厚い本になった。
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