「環境の差が大きいのね」と田原。
そう。その環境の差は自然なものではなく、人為的につくられた体制なのだ。しかし、中国の女性は強い。たったひとつ、男の子が欲しいという望みのために、病気でも貧乏でも巨額な罰金がかかっても、何人も産み続ける、というのは信じられないタフさだ。そういう女性たちは無知で無謀で、国家の発展の足を引っ張るどうしようもない人たちだと軽蔑されているが、彼女らの環境の条件が、たった一つか二つ変わると、そのエネルギーは別の方向へ怒濤のように流れる。たとえば、お金儲けへの情熱に変わると、大富豪になったりするのだ。
中国のことを、日本より男女平等が進んでいるという人があるけれど、女性の「産む権利」をここまで暴力的に過酷に制限している近代国家は他にはないし、男尊女卑の思想は根強い。それでも、日本より活躍している女性が多いように見えるのは、女性の強さの質がもともと違うからだ。それこそ中国のパワーの根本を支える一つではないかと思う。
中国で働いたことのあるジャーナリストは、この巨大で複雑な国を分析することに夢中になる。私もそうだ。しかし、政治や経済、歴史や社会現象から分析する本は多いので、ニッチを選んで女性というフィルターを通して中国の今を描いてみようと試みたのだ。あまりに奇抜な試みなのでうまく書けたかは自信がないのだけれど。
そう説明すると、田原は「そういう考え方、初めて聞いた。面白い」と賛同してくれた。彼女のように感受性が強く聡明な人がそう言ってくれたことで、多少は読むに耐えるものが書けたのかもしれない、と思い直している。
第四章(文革世代と八〇后と小皇帝たち)には田原のような八〇后作家と反右派闘争や文化大革命を経験してきた女流知識人・章詒和(ジャンイフー)の話を並べて書いた。章詒和は書くことを「知識人の使命」と語ったが、八〇后の女流作家たちにとって著作は自己表現だ。だが自己表現は突き詰めると自分のルーツ探しとなり、自分を生んだ国の正体を考える作業となるだろう。本の校了前に彼女と会ったのは、最後にもう一度確認したかったからだ。この国の強いDNAを受け継いだ女たちが、この国を変えてゆける力となる可能性を。
田原は最後に打ち明けるように言った。「私の母方のおじいさんは軍人で文革時代には投獄されたのよ。そんな昔のことも作品のテーマにしてみようと、今調べているところよ」。ほぼ同じセリフを八〇后女流作家の張悦然(ジャンユエラン)からも聞いたことがあった。
激しい女性差別も政治弾圧も経験してこなかった、まだ恐れを知らない好奇心旺盛な若い女流作家たちが、枝葉を伸ばすように、ひそやかにしなやかに日々成長している様子を改めて垣間見て、この本を書いた意義はやはりあったと思う。
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