恐らく多くの方がそうであろうと推測するが、筆者にとって勝新太郎のイメージは、「豪快でスケールの大きい暴れん坊」だった。十代の頃、名画座に通いまくっていた筆者は、映画に登場する勝の躍動する姿に興奮し、テレビや雑誌でその数々の武勇伝に触れるたびに胸をときめかせ、そして憧れた。
そのイメージが大きく変わったのは、二十代に入ってすぐのことだ。その頃、筆者はCS放送、中でも「時代劇専門チャンネル」を毎日のように視聴していた。特に釘付けにされたのが、テレビシリーズ版の『座頭市物語』『新・座頭市』だった。
ここで勝はただの主役スターではなく、製作、監督、脚本、編集と、多岐(たき)にわたる活躍を見せている。それなのに、画面に映し出されるのは、筆者の憧れ続けた勝新太郎像からは全く想像できない世界だった。それは、どこまでも繊細で、どこまでもリリカルな、一昔前のフランス映画のような淡い質感の映像。筆者は衝撃を受ける。あの「豪放磊落(らいらく)な男」が、なぜこんな作品を? 勝へのイメージと、その作り出す映像とのギャップをどうしても埋めることができなかった。訳が分からなかった。
ただ一つ確かなのは、これらの作品に筆者がたまらなく心惹(ひ)かれたことだ。
監督として、製作者としての勝新太郎のことを知りたくて仕方なくなっていた。勝は何を想い、どのようにして一連の作品に臨んでいたのか、そしてどのようにして映像を紡ぎあげていったのだろうか。そこには、世間で喧伝(けんでん)される姿とは異なる勝新太郎像があるように思えてならなかった。
二〇〇二年より、筆者は論文執筆の取材のため、京都の撮影所と東京の往復を繰り返していた。東京で机に向かっているだけでは知ることのできない、時代劇製作の実情を調べるためだ。その過程を通じて、映画史の中で今や伝説の存在となっているスタッフの方々からお話をうかがうことができた。カメラマンの森田富士郎氏や照明の中岡源権氏、美間博氏、そして美術の西岡善信氏……。彼ら〈レジェンド〉たちの言葉は一つ一つが含蓄に富み、一人一人が芸術家であり、作家であった。
そして彼らは皆、勝と数多くの現場で苦楽を共にしてきていた「仲間」でもある。「映画製作者・勝新太郎」の実像を、誰よりもよく知っているはず。筆者の中に生じていた疑問を解き明かすには、またとない機会だった。そこで、彼らに取材する際には、併せて必ず勝のこともお聞かせ願うことにしていた。
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