全く筆が進まなかったのです。映画の脚本は、今まで何本も書き上げましたが、登場人物の行動と台詞のみを文字にします。一方、登場人物の心情を文字にする小説は、僕にとって、似て非なるものでした。喫茶店に一日中籠って考えても、納得できるたった一行が、何日も書けませんでした。すでに映画になっている物語を、再び文字として生み出し直すことに熱くなれなかった気持ちもあったと思います。僕はついに音を上げて、担当者に告げました。
「小説書くのを諦めます」
しかし、担当編集者に説得され、もう一度チャレンジすることになりました。数日後、僕は担当者に言いました。
「やっぱり小説書くのを諦めます」
2回も小説を諦めるなんて、正直、恥ずかしくて情けなかったです。ところが、担当者はまだ諦めませんでした。僕とは大違いです。
「一人称で書いてみてはどうかな?」
この提案に、僕は救われました。それまで三人称で書こうとして上手くいかなかった心情表現が、「私は」の一人称だと、自然に自分の心で文字に変換でき、スラスラ書けるようになったのです。結果、各章ごとに「私は」「僕は」「俺は」と人物の視点を入れ替えたり、映画では描いていないシーンを書いたりすることで、映画とは似て非なる、新しい表現物を生み出せたと自負しています。
実は、『湯を沸かすほどの熱い愛』のエンディングは、僕の卒業制作とほぼ同じです。もっとも僕らしい映画でデビューしたくて、あの頃の原点に帰る気持ちでそうしました。もちろん、内容は10段階くらいレベルアップしていますよ。最近よく、「映画を先に観た方がいいですか? 小説を先に読んだ方がいいですか?」と、聞かれます。そんな時、僕はこう答えています。
「まずは小説を買って、表紙の宮沢りえさんを眺めながら、どっちを先にするか考えてみてはいかがですか?」と。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。