死が間近に迫っていることに気づくと、人は運命を悲しんだり、呪ったりする。
一方で死を受け入れて、恬淡(てんたん)とした気持ちになることもある。
社会的にすでに死んだも同然なのに、自分が元気だった時の気分で社会を見たりもする。そして、ぼんやりした頭でさまざまな策をめぐらせてみる。
だから、自分の死後の評判を気にして、見舞客の前で無意識に小さな芝居をすることだってある。
周恩来が死の床で芝居を打ったとしても、なにも不思議ではないと思う。
この問題でもう一つ考えないといけないのは、歴史との関係だ。
周恩来が死の間際まで芝居をしたのは、自分の死後、毛沢東によって歴史的に抹殺されるのを恐れたから、という部分だ。
もちろん周恩来は、歴史に名前を刻まれるだけの人物である。自分が歴史にどう描かれるかを意識したとしても不思議ではない。
とはいえ、歴史に対する感覚が、日本人と中国人ではかなり違うのも事実だ。そのあたりの事情を押さえると、周恩来が抱いた恐怖に似た感情は、より理解しやすいだろう。
中国では、歴史とは政治上の勝者が書く物語である。後代の人が客観的に描く社会科学的なものというより、政治の延長という方が近い。
しかも歴史というものの持つ重みが、とてつもなく大きい。
高文謙氏に言わせると次のようになる。
「西側社会は宗教によって国民を教化しますが、中国はどうも歴史がその役割を果しているように思います。歴史あるいは歴史における評価が国民を導くようなところがある」
そのため、歴史的に抹殺されたり、悪名を着せられることを、異様なほどに恐れる。
ただし、それが行き過ぎると、現実の死よりも政治的な死の方を恐れるという不思議な状況が生じることになる。
少なくとも、本書の周恩来と毛沢東は、そうだったかのようにみえる。
だから本書は、歴史にとらわれ、支配される二人の老人の悲劇を描いている、と言ってもいいのかもしれない。
さてここから、病気と政治の関係についても触れることにする。病気というものが周恩来と毛沢東に与えた影響について補足しておく。
なぜそうするのかについては、理由を説明しておかねばならないだろう。
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