冒頭で触れたように、周恩来は晩年、癌と闘い続けた。一九七二年の田中角栄首相との日中交渉の時点で、すでに膀胱癌を患(わずら)っていた。
しかしながら、そういった事情は、日本はもちろん、中国においてもほとんど論じられることがなかった。そうした視点が欠落していたのである。
いま一つの事情は、私自身が病気になったということだ。
ただし、私の病気は周恩来のような癌ではなく、毛沢東と同じ神経難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)である。
この病気は、身体の筋肉が細くなり、手足が動きにくくなったりする。話すことや食べることに支障が生じたりもする。
原因は不明で、治療法もない。呼吸をする筋肉もやがて衰え、呼吸不全で死に至る。
人工呼吸器をつけて延命をはかる人はいる。しかしそうすると、ついには身体がまったく動かなくなり、意思表示もできない状態で呼吸だけを続けることになる。
それが生きることだとは思えないから、私はそうした延命措置を拒否している。
もちろん、これは人生観、死生観の問題であり、人それぞれというしかない。
人それぞれである以上、毛沢東と同じ病気になったから、毛沢東の考え方がわかるということにはならない。
死を覚悟したからといって、末期癌で死の恐怖と闘う周恩来の気持ちが理解できるということにもならない。
しかし、病気になって初めて気がついたことも確かにあった。そこでそうした視点も踏まえて、彼らの行動を読み直してみたいと思うのである。
最初に発病がわかったのは、毛沢東の方だった。七二年二月のニクソン米大統領との会談の際、様子がおかしいことに医師が気付いた。
当時、毛沢東は口の動きが悪く、椅子から立ち上がるのにも苦労していたという。そこから、この会談の時点でALSがすでに一定程度まで進行していたことがうかがえる。
ただしこの病気は、脳や自律神経には支障をきたさない。病気そのものによって判断に曇りが生じるということはない。
毛沢東はこの少し前に、肺炎で倒れているが、本人には気管支炎と伝えられた。ALSも告知されていない。
したがって、病気よりはむしろ、忍び寄る老い、肉体の急速な衰えの方を強く意識しただろう。
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