――『静人日記(しずとにっき)』は直木賞受賞作『悼む人』の主人公、坂築(さかつき)静人の日記という形をとった日記文学です。「オール讀物」の二〇〇九年三月号から十一月号まで連載されました。この作品をお書きになった経緯を教えてください。
天童 そもそも、「静人日記」は『悼む人』という小説を書くために、僕が個人的につけていた日記でした。亡くなった人を、誰かれの区別なく、誰を愛し、誰に愛され、どんなことをして人に感謝されたかで悼み、日本中を旅する男。この浮世離れした主人公をしっかり表現するためには、静人の心にわき立つもの、日々体験する苦悩や葛藤、喜びなどを作者が自分自身のものとして感得しなければ、地に足の着いた、リアリティのある人物として読者に届けることはできないだろうと考えました。
それで、実際に事故や事件で人が亡くなった現場を訪ねたり、いろいろと試行錯誤した結果、静人の日記を書いてみようと思い至りました。一日に一度は彼になる時間を作って、報道などで知った亡くなった人のことを静人として考え、それを日記につける。自分の日記もろくにつけたことがないのに、果たして他人の日記を書き続けられるのかと不安でしたが、とにかくやってみようと。いざやってみると、一日に一度、人の死を思うということは、想像以上にきつい課題でした。日記をつけ始めてまもなく、これは無理だ、やめようと思いました。
そんなときに夜空を見上げていたら、流れ星がスーッと夜空を横切るのが見えたんです。このときやや感傷的だけど星が自分を見守っている、日記を書くのを励ましてくれているように感じられました。小説の中にも、「流星は見逃す人のほうが多い。人の死も、多くの人が見逃してしまうだろう」という文章を書きましたが、これは死者が自分を見てくれているということかもしれない。たとえ錯覚でもそう思いたくなって、結局、三年間書き続けることができました。
この日記は小説『悼む人』のバックボーンになるようにと書いたものなので、初めは発表するつもりはありませんでしたが、書き続けているうちに、小説『悼む人』では届け切れない人の死、生、そこから炙(あぶ)りだされる人間の真の愛情みたいなものが坂築静人という触媒を通して現われているのではないか、『悼む人』とは別のものとして読者に届けたほうがいいのではないかという気持が芽生えてきました。そこにちょうど編集者から、静人の日記を連載しないかという依頼がきたわけです。
連載前には、三年間の日記から抜粋していけばいいのかなと思っていたんです。それでも充分によいものになる予感はあった。けれど次第にそれではすまなくなってきたんです。静人がもっと深く書いてくれ、自分の成長の証をもっと克明に読者に届けてくれと、僕に訴えかけてくるのを感じたんです。そのためには、すでにある日記からは逸脱するけれど、やはり自分の中からわき上がってくる静人の内なる声に応えようと決心し、どんどん物語性が強くなっていきました。結果的には、『静人日記』は『悼む人』と同様に三年間の日記がバックボーンとなった、もう一つの新しい小説になりました。
作品全体では二〇〇五年の十二月から二〇〇六年の六月までの日記という体裁になっていますが、時系列としては、このあとに『悼む人』の世界につながってゆくようにも構成されています。ただ、もとの日記自体にもいい点はあったと思います。折々の現実の出来事だとか、季節感も現われていましたし、天童の感情と静人のそれとが重なっている部分も多々ありました。そういったことを生かしていくのも大事じゃないかと思って、残すべきものは残し、実際に日々書いていた日記の記録性と物語性とのバランスをとるように気をつけました。
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