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「書き終えたくなかった」物語

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「本の話」編集部

『雪の香り』 (塩田武士 著)

出典 : #本の話
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

――将棋の世界に生きる人々を熱く描いたデビュー作『盤上のアルファ』をはじめ、地方のオーケストラ(『女神のタクト』)や新聞社の組合活動(『ともにがんばりましょう』)など、これまで多彩かつ意外なテーマを良質なエンターテインメントに仕立ててきた塩田さんですが、最新長編『雪の香り』は、はじめてのラブストーリーとなりました。

塩田 これまでとは違う、男女の感情を正面からとりあげて、読者の胸を打つような物語をいつかは書きたい、と思っていました。デビューして3年、大きなチャレンジでした。

――物語は2000年と2012年、2つの時制を往還しながら進んでいきます。新聞記者の恭平は、学生時代の恋人で突然姿を消した雪乃にかけられた「疑い」を追いかける。このミステリー要素が物語を力強く牽引していきます。

塩田 構想段階で、一番最初に頭に浮かんだシーンがあるんです。ネタ元の刑事が飲み屋のカウンターにメモを残したままトイレに立ち、その隙に記者である恭平がのぞき見る、というところです。これは自分が新聞記者だった時の実体験で、当時は『もしこのメモに知人の名前が書いてあったらどうしよう……』とびくびくしながらメモを開いていました。実際にはなかったけれど、もしそこに知人が、しかも愛する人の名前があったら一体どうなるんだ? という思いが込められたシーンです。このワンシーンが、物語のミステリー要素を決めてくれましたね。

――そして、舞台は京都です。

塩田 京都にはずっと憧れがありました。大学生のときに訪れた京都の景色が強烈に頭に残っていたんです。友人と一緒に見た、賀茂川(鴨川)にかかる橋と夕日が、とにかくもの哀しくて、美しくて……。河川敷で楽しそうにバーベキューをしている学生に嫉妬を覚えました。京都の大学に行くべきだった、と(笑)。その頃、僕はすでに小説家を志していましたから、『いつかは京都を舞台にして作品を書くぞ』という思いへと繋がっていきました。

 それから、この作品では“時”と“場所”をしっかり描きたかった。恋愛感情って、時が経っても決して変わらない思いや、変わらない場所に接した時の喜び、蘇ってくる記憶と共にありますよね。その点、京都は四季の行事をはじめとして、時間の流れを大切にしている。人々も自分たちの町の歴史を誇りに思い、古くからある町並みや寺院、自然を守っている。京都を舞台に選んだのは、必然だったと思います。

京都に住まなければ書けなかった

――プロローグは清水寺から始まり、祇園祭や五山の送り火の光景も鮮やかで、第一級の京都案内という趣きもありますが、一方で町の活気や人々の営みといった、京都の日常も丁寧に描かれています。

塩田 実はこの作品を書き始める1年ほど前から、京都に住んでいるんです。中途半端に聞きかじった京都ではなく、この町に腰を据えることで、人々の息づかいを作品の中に刻み込みたかった。観察者としてこの町と向き合うと、観光スポットや大きなお祭りも、違った色合いを帯びてくる。たとえば五山の送り火は、ただ美しくて幻想的なだけじゃなくて、亡くなった方の魂を山の向こうに送るための、荘厳で厳粛な儀式であることが実感できた。それに京都の人は、場所の説明をするときに、賀茂川にかかる橋の名前を持ち出してくる事が多いんですよ。『やっぱり京都の人にとって、川は生活の中心にあるんですね』と指摘すると、町の人はたいてい、あ、そういえば、という反応で、自分では気づいていない。

生活者としての発見と、観察者としての発見、いずれも作品を作る上で必要なことでした。

――恭平と雪乃、恋する2人の関西弁でのテンポのあるやり取りも心地よくて、笑顔に包まれながら互いの気持ちが寄り添っていくさまが手に取るようにわかります。

塩田 高校時代、お笑いの世界を目指して台本を書いたり、演劇をやっていたのが活きているのかもしれませんが、これも京都の場所の力でしょう。彼らが歩いたはずの道のりを、確認するように何度も歩いていると、台詞があとからあとから湧いてくる瞬間がありました。

 書き始める前は、僕はこの手強い物語を書き切ることができるのだろうかと不安でした。でも、最後のシーンにたどり着いたときに、書き終えたくない、と思ったんです。恭平と雪乃をもうこれで書けなくなるのが惜しいと感じた。どちらの感情も、僕にとってははじめての経験でした。そのくらい、全身全霊を傾けた作品です。これまでのどの作品よりも、みなさんに読んでいただきたい、そう思っています。

文春文庫
雪の香り
塩田武士

定価:968円(税込)発売日:2017年08月04日

電子書籍
雪の香り
塩田武士

発売日:2017年08月04日

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