――地方では素朴な芸で老人や子供を笑わせて有難がられていた善造さんですが、浅草で、自分の芸を見失ってしまいますよね。彼が狙う笑い、毒のない温かな笑いというのは本当に無用なのか、というのも読みどころの一つです。
木内さんは昭和42年生まれで、戦争を知らない、豊かな時代に育った世代ですよね。
木内 でも、母親は大塚に住んでいたので、5月の空襲で家が焼けてしまった。その話はずいぶん聞かされましたよ。目の前に爆弾が落ちて、母は腰が抜けて動けなくなり、脇を走り抜けようとした人たちが爆発に巻き込まれて亡くなるのを見た、とか。また、小学生の頃も「はだしのゲン」の映画や東京大空襲のドキュメンタリーを、体育館なんかでよく観せられました。
――今回の小説の執筆にあたっては、その時代のことを知っている方々が沢山いらっしゃる故の緊張がおありだったとか。
木内 それはありました。たとえば80年代を描いている作品を読むと、いかに取材がなされていようと、すでに私自身が、なにか違うなあと思ってしまう。そんな風に同じ時代を生きていても各人が抱く時代感は違うものです。ですから、取材を丁寧にして多角的に時代感を出したい、ということに注意を払いつつ、でも、書くからには堂々と書こうと思いましたけれど。
――前作『漂砂のうたう』では時代の描写が評判になりました。本作品の中でも、東京裁判とか、帝銀事件とか、東宝争議とか、戦後史を刻む事件が起こりますが、実に自然な形で描かれていますね。武雄の拾う古新聞の記事だったり、登場人物たちのなにげない会話から零れてきたり。
木内 複雑で混沌としていた時代だったので、呑気でちょっと単純な3人組と対照させて、別立てできっちりと時代を描きこもうとも思ったのですが、そうすると全篇から醸し出そうとしている「おかしみ」との間に齟齬が生じてしまう。結局、俯瞰で見ずに、登場人物の目線に近いところで時代を書くべく努めました。
――あともう一つ、あくなき食べ物描写も秀逸です。いわしバターに代用蒸しパン、ミカン水にハイカラ餅。しじゅうお腹を空かせている武雄の視点から、この頃の子供たちの「夢」が見えてきます。「卵ご飯」をミリオン座の面々で食べる場面は一つの山場になっていますよね。
木内 とにかくひもじい、という時代だったので、そのことは徹底的に書かねば、と思っていました。
――愛すべき登場人物たちですが、なんとなく、最後のほうで「振り出しに戻る」感じですね。
木内 そう。みんな、あまり花開いてはいないんですが(笑)、でも飢えやねぐらをどうするかで悩むのではなく、好きなことを見つけてそのことで悩めるようになっている。いくら苦しくたって、好きなことで悩めるほど贅沢なことってない、と私は思うんです。