――帯の「虚実REMIX」というのもご自身のコピーです。
天久 SFなんかだと普遍的なテーマですが、昔からどこまでが現実でどこまでが妄想かっていう話が好きなんです。ただそこにストーリーの軸をもっていくんじゃなくて、グラデーションが掛かるようにどんどん現実が虚構に侵食されていって、気がついたら悪夢のただ中にいるという、そんな話にしたかったんです。帯で松尾スズキさんが「チャーリー・カウフマンが書いた映画のよう」と書いてくれていて、まさにそうしたいなと思ってたんでうれしかったです。ただ僕の小説にはカウフマンのようなインテリっぽさはないですけど(笑)。
――この作品は漫画だ、とご自分では再三おっしゃっています。装画も、漫画家の長尾謙一郎さんに描いてもらいました。
天久 やはりデビューがマンガ家なんで、どんな表現手段を使おうとこれは自分にとってのマンガだという意識があります。そう考えないと本職の小説家の方に失礼な気もして(笑)。でも実際、僕の場合はいったんアイデアを頭の中でマンガにして、それを文章化している感じがします。そういう意味ではこの小説はライトノベルに近いかもしれません。
あとは絶対ギャグにしてやる! という意識はつねにありました。この小説を書いたそもそもの動機がいかに原発をギャグにするかってことだったんで。津波などの自然災害は決してネタにすべきではありませんが、原発に関してはそれで被害に遭われた方の問題とは全然別に、やはり人間がつくったものだし、あの事故自体は明らかに人災なのでそこは突っ込まなければと。人間のしでかすことはどんな悲劇的な事件でも必ず喜劇的な側面がある、そう思わないと救われない気がするんですよね。特に東京のパニックぶりは自分も含めて相当喜劇的でしたし、いま冷静に当時を語っている人やヒューマニズムに走ってる人に対しては「でも、お前ら相当パニクってたよな!」と、そこはちゃんと書き残しておきたくて。あの年の「絆」ってそういう「恥の共有」を意味するものだと思います(笑)。
――たしかに、むやみに色々なところに寄付したり、一方で水とか電池とか買い占めていました(笑)。
天久さんは文章はずっと書かれているのですよね。
天久 はい。と言っても投稿企画にリードやキャプションをつける程度ですが(笑)。自分でなにかを創作するより、読者と同じ立ち位置で「こういうオモロいもんがありまっせ!」とか、既にあるものに対して「こういう見方すると笑えまっせ!」とか、そういうのが性にあってるんです。今回の『少し不思議。』に関してもどこかそういうスタンスというか、世の中すげえヒドいことになってるけど笑えるだろ、つうか笑うしかないだろ! って立場で書いてます。
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