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「自分のテーマ」に辿り着くまで

「自分のテーマ」に辿り着くまで

文:丸山 正樹 (作家)

『デフ・ヴォイス』 (丸山正樹 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』(丸山正樹 著)

 発表の当ても報酬の見込みもない小説を書き続けて7年あまりになる。

 そんなことを続けていても誰も褒めてくれないばかりか、私ぐらいの年になると、「いい年をしていつまでも何をやっているのか」と後ろ指を指されたりする。「定職にも就かず」という条件が加われば尚更だ。

 小説を書くまでは、シナリオを書いていた。今でも地味な広報ビデオの脚本書きは細々と続けているが、かつてはいくらか華やかな仕事をしたこともあった。

 もう14、5年前になるだろうか。世間のバブルから少し遅れて「映像バブル」と名付けたいような頃があった。一般的には「Vシネマ」として知られるオリジナルビデオや、短期間のみレイトショー公開される低予算映画。そんな作品が雨後のタケノコのごとく乱作された時代だ。その恩恵にあずかって、私も数本のオリジナルビデオや単館系映画、深夜ドラマのシナリオを手掛けたことがある。だが、所詮は粗製乱造の悲しさ、ブームはあっという間に終焉を迎え、私のような三流ライターにはお声が掛からなくなった、というわけだ。

 それからは、「書く仕事」であれば何でも引き受けた。芝居の脚本を書いたこともあるし、アダルト系の雑誌で卑猥なコピーを山ほど考える仕事をしたこともある。

 そんな風にライター稼業にしがみついていたのには、わけがある。

 私には、頸椎損傷(けいついそんしょう)という重度の身体障害を抱えた妻がいる。公的な支援を受けてはいるものの、主たる介護の担い手は私である。従ってフルタイムで働きに出るわけにはいかない。一方、在宅でできる仕事というのは限られており、概してペイがよくない。通信講座の答案添削といった内職仕事よりは、良俗に反するコピーを一つ考える方がまだ稼げた。

 自分が選んだ道であり、後悔などないつもりだった。それでいて、真冬の夜中などに汚れたシーツや妻の下着を震えながら洗っていると、ふいに叫び出したくなるような衝動にかられることもあった。

「このまま終わりたくない」と思った時、小説を書くことしか頭に浮かばなかった。ジリ貧の生活から抜け出るには一発当てるしかない、という俗な思いもあった。

 新人賞に応募し始めて3作目の短篇で最終選考に残ったのを皮切りに、何度か最終までいくようになった。だが、そこから足踏みが続いた。最後の壁がなかなか越えられないのだ。

 それまで、タイプの異なる作品を思いつくままに書き飛ばしていた。若手の漫才師を主人公にしたコメディを書いたこともあるし、ハードボイルドを気取った小説も書いた。どれも小器用にまとまっているだけで、作品の芯に欠けている気がした。

 本当にこれが自分の書きたいものなのか。自分にしか書けないものはもっと他にあるのではないか。

 そんなことを考え始めていた頃、「デフ=ろう者」という存在に出会ったのだ。

 初めは、多少見知った世界である「障害者の苦悩」という観点から興味を持った。だが、聴覚障害者ではなく「ろう者」、ただの手話ではなく「日本手話」、と彼らについて知るうちに、そんな枠を超えた世界が眼の前に広がってきた。彼らは自分たちの「言葉」で、喜びを、悲しみを、あふれる思いを語っていた。しかしその「声」は、一般社会には届かない。何とかしてそれらを小説の形を借りて伝えられないか。

 しかし、書き出すにはまだ何かが足りなかった。主題をストレートに書いて啓蒙的なものになるのは避けたい。当事者ではない自分に、彼らの心情がどこまで描けるかも不安だった。

 そんな時、「手話通訳士」という仕事があるのを知った。まさに「彼ら」と「私たち」の間を繋ぐ存在――。主人公にその職業を与え、さらにもう1つある設定を加えた時、物語は勝手に動き出した。自分の居場所を求めてあがく主人公の葛藤は、いつしか私自身の思いとも重なっていた。

 かくして作品は出来上がった。どんな物語になったかは、是非本作を読んでもらいたい。良否はともかく、自分にしか書けないものになったと初めて思えた小説である。


文庫化に際し、再掲載しました(初出:2011.07.20)

文春文庫
デフ・ヴォイス
法廷の手話通訳士
丸山正樹

定価:814円(税込)発売日:2015年08月04日

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