書評

ろう者の世界を「通訳」してくれている爽やかな距離感と愛に溢れたミステリー

文: 三宮 麻由子 (エッセイスト)

『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』 (丸山正樹 著)

  少女の手がふいに動いた。

〈おじさんは、私たちの味方? それとも敵?〉

 これは、主人公荒井尚人が作品最初の事件で容疑者の手話通訳を行った際、容疑者の娘から投げかけられた質問である。尚人と何の関係もない読者でありながら、この問いかけにはドキリとさせられる。そしてそのドキリが、尚人自身と読者を作品の深みへと導く原動力となっている。この作品は全編を通じて哲学的な問題を内包しており、ミステリーでありながら考えるヒント満載の人生論でもあるのだ。

 一読してすぐに現れる主題は、聴覚障害の世界を生きる人々の実態であろう。

 ただ、それに直接光を当てるというよりは、その世界を「身近に見ている」人物の目を通して現実を語らせている。当事者ではなく、当事者にかぎりなく近い健常者を軸にしているため、啓発的な部分に気を取られることなく、普通のミステリーとして読むなかで自然に実情を受け止めていける。それがこの作品の魅力であり、強さといえるだろう。

 聴覚にハンディをもつ「ろう者」同士の間に生まれた耳の聞こえる子供を、英語で「コーダ」という。Children of Deaf Adults(ろう者の親の子ども)の略だが、筆者を含め、聴覚障害の世界と近しくない人にとって、この言葉は初めて聞くものではなかろうか。作品はこの言葉を効果的に紹介し、「コーダ」である尚人がかかわる二つの事件と、彼自身の生き方の変化という物語を併走させる。

 両親が手話を使う「コーダ」は音声による日本語より先に手話をおぼえるため、心理的には「ろう者」という指摘が作品中にある。尚人もそのような経験を持ちながら社会に出ていく。だが一歩家を出れば彼は「健常者」であり、「普通の人」として社会参加し、恋愛する。家族のことを語らなければ「コーダ」としての立場を知られることはない。

 それでも「コーダ」であるという事実は、彼にとって開かずの間ならぬ「封印の間」として厳然と存在する。彼はそんな秘め事を抱えたまま、二十年間警察の事務員として働いた。四十三歳で失職し、求職難に直面してやむなく手話通訳の仕事を選択肢に入れると、この「封印の間」がにわかに自己主張を始める。少女の質問は、そんな尚人にふたたび突きつけられるのである。

「あなたは私にとってどんな存在ですか」という問いは、対人関係において、私たち自身が相手に対して常に無言で発し、相手からも発せられている。私たちはその質問と回答を繰り返しながら、自分の立ち位置を決め、表明している。この点は、障害の有無を超えた普遍の次元で読むことができる。ここに、作品の視野の広さが感じられる。

 同時にこの作品は、当事者に限りなく近い人という存在の大切さを自然な形で伝えてくれる。

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デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士
丸山正樹・著

定価:本体650円+税 発売日:2015年08月04日

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