バンドを題材にした誉田作品は「レイジ」以前にもある。「疾風ガール」と「ガール・ミーツ・ガール」は、若きギタリスト、柏木夏美を主人公としたシリーズ作だ。礼二が発見するリズムの秘密と同じ趣旨のことを夏美が語っているなど、「レイジ」と共通する部分も見出せるが、人物の描かれ方はずいぶん異なる。かたや「選ばれた者だけが立つべき、舞台という場所」がよく似合う颯爽とした夏美。かたや「セサミストリートに出てくるビッグ・バード」似で、ステージ上でぼそぼそとしゃべる礼二。著者の経歴も含めて考えると、この違いがけっこう興味深い。
著者がかつてプロを目指してバンド活動をしていたことは、熱心な読者の間ではよく知られている。インタビューなどでは、「レイジ」の登場人物にはモデルがいること、実体験が反映されたエピソードも多いことなどを明かしている。バンド時代の著者のパートは礼二とぴったり同じ、ベースとボーカル。二十九歳の時、椎名林檎の才能に衝撃を受けたのを機に音楽での道に見切りをつけ、その後、三十歳で初めて書いてみた小説が「疾風ガール」のひな形になった。ちなみに夏美シリーズには、島崎ルイというアーティストに衝撃を受けてバンドの道を断念、後に夏美のマネージャーになる祐司という人物が登場する。
著者初のバンドものだった夏美シリーズでは、選ばれた人間の才能を見せつけられた者は、ステージを去るしかなかった。しかし、それから年月を経た(刊行年で計算すれば、「疾風ガール」から6年を経た)「レイジ」で、一度は挫折した礼二を、著者は再びステージに立たせた。いや、立たせることができたのだと思う。過去の自分と向き合い、受け入れ、再生していく著者自身の姿が、この小説には刻まれている。
インタビューなどでさらりとバンド時代を振り返る著者だが、人生をかけて取り組んでいた音楽の道をあきらめる決断が、容易だったはずはない。著者が多くの作品で描いてきた喪失と再生というテーマの、最も純度の高い原形がここにある。
ここで冒頭で紹介した「これは私の歌だ」という言葉に戻りたい。当たり前だが、ザ・ポリスの「見つめていたい」が、その若い女性ひとりのためだけに作られたわけはない。「これは私の歌だ」と感じる人が増えるほどに、歌が作った側の手を離れ、より大きな何かに育っていくことを示すエピソードだと、僕は理解している。そして、礼二も物語終盤で、同じことをある少年から教えられる。少年は「風の彼方に」についてこう話す。「俺、なんかしんないけど、あの曲聴いてると、がんばれそうな気がしてくるんすよ。信じてやり続けてたら、あのポンプから透き通った水が噴き出してきたみたいに、俺にもなんかできるんじゃないかって、そんなふうに思えてくるんすよ」。このとき礼二が何を思ったか、作中ではっきりとは書かれていない。でも、僕には分かる。いや、分かると信じられる。なぜなら、これは僕の物語だから。
そしてきっと、何かに打ち込んだことのある、あなたの物語でもある。
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