『白い巨塔』『華麗なる一族』『大地の子』『沈まぬ太陽』『運命の人』『約束の海』……
52年間、一心同体となって国民的作家を支えた秘書、野上孝子さん。
三回忌を前に回想録『山崎豊子先生の素顔』を書き上げた。
その刊行直前、戦時中の日記が発見された――
――先日、山崎豊子先生の昭和20年元日から3月までの日記が見つかったと報道されました。まずは、この発見の経緯とご感想をお聞かせください。
三回忌を前に、浜寺のご自宅の書斎を整理していたのです。「初期作品」という箱の中に、『ぼんち』『花のれん』などの資料と小さいノートが何冊か、紐でくくって保管してありました。そのうちの1冊が日記だったと、編集者の方が発見されたのです。大阪が燃え盛る中で書かれたノートとは考えにくい。当時のメモを、毎日新聞記者時代に、清書されたものではないかと推測しています。
拝読して、写真でしか知らなかった若い先生が目の前で動き出したような新鮮さを覚えました。先生から、空襲体験や淡い恋の話はちらほら聞いておりましたが、戦争中もしおらしく頭を垂れず、溌剌と自分らしく生きていた様子がわかり、思わずにやりと笑ってしまいました。
もう一つは、たった20歳そこそこで、こんな鋭いまなざしを社会に向けておられたことへの驚きです。戦争や、勤めていた新聞社、市井の人々に対する批評眼はさすが山崎豊子。後にあれだけ大きな作品を生み出す作家としての目を、既に持っておられたのですね。
――作家になりたいという強い意志が、早くからあったのですね。
これだけは、まんまと騙されました(笑)。先生は繰り返し、『私は小説家になるつもりなんか毛頭なかった。同人誌にも入ったことがないし、腕試しをしたこともない。初めて作家になりたいと思ったのは、井上靖さんが新聞社でお仕事の傍ら、こつこつと小説を書いておられた姿に触発されたからだ』とおっしゃっていましたが、将来、作家になろうと女学生のころには心に決めていて、すでに『嬢はん』という習作まで書いておられたんですね。
――戦争体験が山崎文学の根本にある、と言えそうですね。
私はこれまで、「戦争を描きつづけた作家・山崎豊子」という見方は、一面的ではないか、と考えておりましたが、やはり原点はここだったのですね。焼夷弾の怖さを憎みながら、どこにいても本を片時も手放さずに読んでおられた姿も、先生らしいです。
作家としての評価が不当に低いのではないか
――先生より15歳年下の野上さんも、戦争を体験された世代ですね。
私は名古屋市内に生まれました。うちは機屋で、小さな町工場です。私の脳裡に残っているのは、荷車に家財道具を載せて、燃える家と家のあいだを、父や男の人たちが前と後ろで荷車を押しながら逃げている光景です。私たち子供は、防空頭巾をかぶり、親の手をしっかりつかんで逃げ惑っていた。その記憶だけが戦争なんですね。住まいに爆弾が落ちてくる、火事になって焼ける、逃げた先にまた爆弾が落ちて焼ける、とにかく火から逃げなくてはならない。先生の日記のうち、生家が焼け落ちたというところだけが、体験的にわかります。残念ながら、戦争を憎むというところまで、当時の私は考えが及びませんでした。
――野上さんは20歳のころ、どのような学生でしたか。
安保闘争の時代でしたが、恥ずかしながら、決して自ら声を挙げるような学生ではありませんでした。新聞部で先輩たちのディスカッションを聞くと、火の手が上がる町を、荷車と共に逃げるシーンが必ず浮かびました。負けた戦争は誰が始めたのか、と考え始め、及ばずながら、テニスに打ち込んだり、お裁縫やお花を習うのではなく、新聞部員としてデモには行き、取材するようになりました。
――作家の秘書になろうとされたのは、そのような意識からでしょうか。
まったく違います。私は粗忽者なので、教師は向いていないとわかっていました。美しい方には、会社の役員秘書といったお仕事はありましたが、これも到底、向いていない(笑)。就職するあてはないけれど、社会に出たい一心で、就職掲示板に「秘書、求む」の貼り紙を見つけたのです。なかば野次馬根性で面接に伺ったのが、山崎先生との出会いです。作家なんて、自分とは何の縁もない存在だと思っていたんですが(笑)。
――それから52年間も仕えることになったのですね。没後、回想録を書かれたきっかけは。
編集者の方に勧められたこともありますが、実は私はかねてより、山崎先生の作家としての評価が、不当に低いのではないか、と歯がゆく思っておりました。そのネックとなっているのが、盗用報道でした。訃報記事までそのことに触れているのを読んで、私は悔しかった。波立つ自分の気持ちを整理するためにも、書き始めました。あとから考えれば、報道に押しつぶされまいと、小説で勝負するべく努力され、結果的に先生をより大きな作家へと向かわせたようにも感じます。当時、私も不注意であったことを反省しています。そうした意味もこめて、きちんと書き残しておきたかったのです。
※(後編)に続く
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