ここだけの話だが、藤沢周氏はガタイがいい。厚い胸板をしている(これはテレビで見かける彼よりも、さらに印象が強い)。背筋がすっと伸びている。柔道の有段者だ。ついでに言えば、クラシックギターも爪弾く。
そんな藤沢氏が剣道を始めた、と風の噂で耳にしたのはいつだったか。いや、じっさいに藤沢氏から聞いたのかもしれない。「道場」という言葉を、まるで日常会話の語彙のように使う彼に、少し面食らった覚えもあるから、たぶん直接聞いたのだと思う。
ともかく、藤沢周氏はいつからか、剣道を始めた。そしてこの小説の連載が始まった。
「雪の一片でも、桜の花片でも、突かなければならぬ。斬るのではない」。
冒頭である。これはもう剣豪小説の書き出しである。文体、というか、語りの口調がやや大仰で、相応しい感じになっている。池波正太郎とか隆慶一郎とか、そんな作家の名前さえ浮かぶのではないか。
たしかにそうした側面もこの小説にはある。矢田部親子だ。父親の矢田部将造は、人を殺す道具として刀を捉えていた。だから竹刀だろうと木刀だろうと、手にするや真剣そのものだった。一方、息子の矢田部研吾は、そうした父親とは意見を異にしていた。父親の異常な執着に対してどこか冷めた視線を送っていた。母親(つまり将造の妻)のいなくなった家で、2人はずっと間合いをはかって暮らしていたが、ついに剣を交えてしまい、研吾は将造を打ち負かし、将造は入院、寝たきり状態になっている。
ただ、こうした、剣豪小説ふうの味付けは、じつは傍流だ。『武曲』全体を覆っている空気は、言ってみれば「武道系部活小説」という感覚に近いのではないか。
舞台は、北鎌倉学院高校剣道部。前述の矢田部研吾はそのコーチ。剣道部は強豪というわけではなさそうだ。その剣道部員と、ふとしたことがきっかけで、小さな諍いを起こす生徒がいる。彼の名前は「羽田融」。ラッパー志望の高校2年生だ。この小説の主人公である。
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