こうした情勢下にあって、二〇二〇年に開催が決まった東京オリンピックは、東アジアの海を波穏やかに保つ抑止力として働くはずだ。いかに中国の強硬派といえども、平和の祭典を主催する国の領土を侵すのはためらわれよう。国際社会が注視するなか、オリンピックを台無しにした張本人と名指しされたくはないはずだ。来るべき東京オリンピックは尖閣問題を人質に取ってしまったのである。それは尖閣に国連の施設を建設したに等しい。
同時に猪瀬知事もまた、灯台建設といった挙には出られなくなった。尖閣諸島で新たな波紋を巻き起こせば、中国政府は東京オリンピックをボイコットするだろう。一九七九年、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻したため、アメリカは日本などと共に翌八〇年のモスクワ・オリンピックをボイコットしている。
尖閣諸島を統一的に管理するために日本政府の関与を強めよ。富坂聰は早くからこう主張してきたが、皮肉なことに国家が前面に出て一元的対応をとったのは中国のほうだった。本書で新らたに書き下ろした第六章で、詳しく論じている。
「中国は戦略的に尖閣を取りに来ていると思わせた。これまであまりに多くて統制ができていないとされた海の警備を一本化して中央の意思を徹底できる体制にまとめ上げてきた動きがあるからだ」(本書二二九ページ)
中国海警局の新設こそ、中国指導部の政治的意志を端的に示している。従来の海に関係する行政組織は「九龍治海」と形容されるように、いくつもの行政組織が複雑に入り乱れて統一を欠いていた。とりわけ国家海洋局の海監、公安部の辺防海警、農業部の中国漁政、それに税関の「四龍」が並び立っていた。だが尖閣問題こそ群雄割拠する龍を一つにまとめ上げるのを促した。新たに出現した海警局は、直接は軍に所属していないが、軍に準じる組織であり、それを裏書きするように隊員の九割は人民解放軍からの出向者だという。日本の海上保安庁にあたるものと考えてはその本質を見誤ってしまう。中国の最高指導部は、海警局をがっちりと握ることで、前線の指揮官が安易な武力行使に踏み切って米中戦争を引き起す事態を食いとめようとしていると富坂聰は分析する。
富坂聰は北京大学の学生時代に共同通信でのアルバイトから、ジャーナリストへの道を歩みはじめた。一九八六年、北京の街頭で学生の民主化デモを目の当たりにして、報道の面白さに目覚めたという。それ以来、この人は徹底して現場に身を置いてきた。それゆえ、過剰なイデオロギーで事実を直視する目が曇ってしまうことがない。本書には中国の大地を這(は)うようにして得られた洞察がちりばめられている。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。