日本人にとって忘れられない2011年3月11日は、小説家としての覚悟を試される日々の始まりでもあった。
あの日――私は関西の自宅で、「別册文藝春秋」で連載していた『コラプティオ』の最終回の執筆に追われていた。原子力産業を国営化し、原発輸出の先頭に立って日本再生に奔走する総理を待ち受ける衝撃のラストで物語が完結する、はずだった。
だが、大震災は、執筆に思わぬ影響を及ぼした。福島第一原子力発電所(以下、福一)の事故だ。
11日夜、福一でSBOが発生して、原子炉の冷却装置が停止したという情報が入ってきた。SBOとは、全交流電源喪失(ステーション・ブラック・アウト)のことで、原発内が停電状態にあるという意味だ。
かつて『ベイジン』という小説で、巨大原発の事故によってSBOが発生するという設定を考えた時、原発関係者から、「そんな事態は絶対に起きない。特に日本ではナンセンス」と断言されたのと同じ事態が起きたのだ。
人間の行為に絶対なんてない、その絶対を覆すのが小説の面白さだと私は常日頃から考えているのだが、さすがに福一の事故を知った時には、寒気立った。
それでも事故当初はさほど心配しなかった。SBOを解消する方法は複数あるからだ。それにたとえ、電気が復旧しなくても、原子炉を冷やす方法はある――という程度は素人の私ですら知っていたので、すぐに危機は脱するはずだと、確信していた。だが、原発事故は収束せず、それどころか水素爆発まで起きてしまう。
それによって、『コラプティオ』の設定を根底から覆さざるを得なくなった。
震災によって多くの尊い命が失われた悲劇に比べれば、私の問題など些細な話だ。それでも原発事故に真っ向から向き合い、小説としての落とし前をつけなければならないという事態は、当事者にとっては大問題だった。
何しろ、小説は日本再生の鍵として原発輸出を掲げている。福一の事故の決着がどうなるのか分からないとはいえ、おそらく当分は、原発はタブーとなるだろう。世界中の原発が停まる可能性もあった。そんな中で、同作を従来通りの構想で終わらせるわけにはいかない。それどころか、作品を発表するべきではないのかもしれないとまで思った。
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