──この度、収録されます初期の二作は、エンターテインメントへ突き進む手前の作品ですね。両作とも人間の心理を見つめた秀作だと思います。
北原 有難うございます。これが研ぎ澄まされるんじゃなくて、変な迷路に入っていったんですね(笑)。なかなか抜け出せなかったですね。二十年間の迷路でした。
──初期の作品傾向はわりと……。
北原 寂しいでしょ。そうしないと文学にならないと思っていたんでしょうね。ハッピーエンドは駄目だと思っていたんですね。
──逆にハッピーエンドは成長しないと書けないものですか。
北原 エンターテインメントは、私の場合ですけど、四十五歳を過ぎてやっと書けるようになりましたね。酸(す)いも甘いも噛み分ける年齢にならなければ、特に時代小説は書けない。まぁ、それだけ私が幼かったんでしょうね(笑)。
──収録されています「冬隣」という短篇では、浮気をした夫と、心がすでに離れてしまった妻が主人公です。冒頭では、「家庭内別居」していた妻が夫の寝床に訪れ、夫が困惑するところから始まります。この作品は、誰が良い悪いではなくて、人が生きていくうちに抱えてしまう哀しみを映し出していると思いますし、読むことで哀しみを解放してくれるような気持ちになります。
北原 年はとりたくないけど、年をとったから書けたのかもしれませんね。時代物、ことに世話物と呼ばれるジャンルは、年をとってからの方がいい作品が書ける。純文学は、若い時に大傑作が書けることもありますけど。
──北原さんにとって、時代小説の魅力とは何ですか。
北原 今も昔も人間は変わらないものです。江戸時代のエッセイなどを読んでいると、そのことがわかります。例えば、江戸時代は封建的で、女性は制度で雁字搦(がんじがら)めになっていたと思っている方もいますが、エッセイには、十五、六歳の女の子が若い男の前であけすけな話をして、男の方が困っていたなんて記述がある。現代と全く変わらないでしょ。ならば、現代物を書けばいい、頭にちょんまげを載せる必要がどこにあるのかという声が聞こえてきそうですけど、人間はずっと変わっていなくても、昔の方が人情が濃密だった気がするのね。というより、情をストレートに出していたような気がする。現代人は情が内に籠もっていると思うんです。だったら、昔の人を素直に書いて、人間ってこんなに優しくなれるんだよ、と伝えたい。時代小説はこういうことができるんです。
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