──最近の事件をみていると、情の薄さを強く感じます。
北原 人間はずるいところもあるし、ウソをつきたくなるときや、意地悪したいときだってあると思う。それは昔も今も変わらないことです。けどね、昔は、例えば忙しくて銭湯にいけないときに、隣の人が子供を連れて行ってくれたりしたわけよ。私の子供がいたずらをしたら、誰かが叱ってくれる。これが近所づきあいでした。
──自然とそのような環境だったんですね。
北原 そういう気持があれば、ここまで幼児虐待が多くないと思います。子供に変な痣(あざ)があれば、一体何があったんだい、子供が転んでこんな傷ができるかい、と言われるわけです。これは、本来人間が持っていたはずなの。現代では、他人の生活に口を出さない方がよしとされているみたいでね。やっぱり時代小説でなければ書けないことがあります。
──収録されてます「帰り花」は、貧しい生まれの娘が主人公です。彼女は幼いときに世話になった手跡指南所の師匠のことが忘れられません。この師匠はお金がない娘に、硯(すずり)や筆のほか、にぎりめしも恵んでくれました。この師匠だけでなく、近所の人達も何かと面倒をみてくれています。現代では、貧乏=不幸となりがちですが、この小説を読むと、必ずしも不幸には感じません。
北原 いや、不幸なのよ、本当は。それが羨ましいと感じるくらい、現代が不幸なのよ。
──先ほど述べました「冬隣」では、人は一人で生きていけるほど強くない存在で、そこに文学があることがわかります。
北原 そのどうしようもない気持の部分が、若いときには書けないんですね。たぶん、この夫婦をさっさと別れさせたと思います。しかし、年をとってくれば、簡単に別れられないことがわかってくる。エンターテインメントは、そういう引き出しがたくさんないと駄目なのね。
──表題作「あんちゃん」は、田舎から出てきて炭屋の主(あるじ)になった弟と小作人として生きる兄の物語です。「お金」という尺度なら弟が上回っていますが、兄は弟が見失った、人間にとってもっと大切なものを持ち続けていました。弟は後半で女に身を持ち崩していきます。しかし、ラストで北原さんはもう一度やり直せる道を示しますね。
北原 若い頃なら、自殺させたかもしれませんね。若い頃は自分以外全員敵だと思い込んでしまうようなところがあるから、ラストで主(あるじ)に道を示す番頭みたいな理解者も書けない。年はとりたくないけど、私は年をとらないとだめだったのね。
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