文春写真館

大阪の言語文化という奥深い土台を感じさせた河野多惠子

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

大阪の言語文化という奥深い土台を感じさせた河野多惠子

――「もうちょっと上も……」

 悠子が希望を叶えてやると、武は眼を閉じて、さも気持よさそうに味わっている。で、続けていると、

「そんなに同じところばかりしていないで……」――

 昭和三十八年(一九六三年)の芥川賞受賞作「蟹」の一部分。小学校一年生になる甥を自分の部屋に泊めて、寝る前に背中を掻いてやっているのだが、その底にひそむ中年女性の奥深い欲望が、読後に生々しく効いてくる。

 大正十五年(一九二六年)、大阪の椎茸問屋の家に生まれる。大阪府女子専門学校を卒業後、昭和二十七年に上京し、勤めながら小説を書き始め、三十六年に「幼児狩り」で新潮社同人雑誌賞を受賞したのを皮切りに、数々の文学賞を受賞。昭和六十二年、芥川賞初の女性選考委員となり、平成十九年に辞任するまで二十年間務めた。平成二十六年(二〇一四年)には文化勲章を受章。戦後の日本純文学の世界で、確実に王道を歩んできた大女流作家だ。

 二十代のときに結核を患い、三十代で再発。それは河野の作品における生命力や欲望への強い肯定の一因となっているように見られる。谷崎潤一郎の後継者として、幼児性愛、マゾヒズムなど異常性愛を主題としたものも多く、「心理的マゾヒズムと関西」という論文では、松子夫人の大阪人の気風が、いかに谷崎を開花させたかが考察されていて興味深い。

 河野自身の作品でも、食べ物や生活の一場面は緻密かつ直截に描かれる反面、微妙な心理や性愛は言葉に出さずに行間から読ませるという技が多用され、大阪の言語文化という奥深い土台を感じさせる。貝が好きで、「骨の肉」の牡蠣や「後日の話」の法螺貝を食べる描写は圧巻だった。

 写真は「文學界」の平成十四年一月号で、山田詠美と対談したときのもの。骨太で理知的な風貌には、異常性愛を描いてさえも格調高い作家にふさわしい、品と風格がある。対談当時は十年来のニューヨーク在住だったこともあり、9.11同時多発テロと戦争について、生活者としての揺るぎない意見を述べている。

 平成二十七年一月、呼吸不全のため八十八歳で死去。観念や主義にとらわれず、現実をあくまで具体的に客観視することのできた稀有の小説家だった。

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