野心、才能、使命感。
この三つがからまり合うと、巨大な仕事エネルギーが生まれる。しかも、それが超人的な粘り強さに支えられている場合、後に続く者が仰ぎ見るほかない巨峰ともなる。
本書の主人公の一人、ケンボー先生こと見坊豪紀(けんぼう・ひでとし)が国語辞書のために一人で採集した用例「一四五万例の見坊カード」は、「本当に人間がやったのか」というこわさを後進に抱かせる。
マグマのような仕事エネルギーが生み出す巨峰は当然広大な裾野スペースを必要とする。しかし、もし限られた裾野に巨峰が二つ同時に生まれようとしたらどうなるか。ギシギシと大きな音を立てせめぎ合うだろう。
見坊豪紀と山田忠雄。二人の天才辞書編纂者が、三省堂の国語辞典を裾野としてせめぎ合った。超人的なマグマがぶつかり合う、壮大かつスリリングな展開が克明に描かれる。
両雄は並び立つのか。
二人のフィールドが、日本語だということも闘いをドラマティックにしている。莫大な日本語を小辞典に用例付きで収め切る。これは難行だ。しかも日本語は生きていて変化し続ける。その実相を反映させ、しかも語釈は明快であることを求められる。
見坊は、辞書はことばを写す鏡であり、同時にことばを正す鑑(かがみ)だと考えた。山田は、辞書は文明批評だと考え、模倣を完全排除した。基本的な信念もぶつかり合った。
二人は、ほぼ同年代の東京帝国大学文学部の同期に当たる。山田は見坊の助手的立場に十七年置かれた。
『新明解国語辞典』という場をついに獲得した山田は初版の「実に」の用例にこう書いた。「助手の職にあること実に十七年〔=驚くべきことには十七年の長きにわたった。がまんさせる方もさせる方だが、がまんする方もする方だ、という感慨が含まれている〕」。
斬新な語釈で知られた『新明解』だが、まさかここまで個人的な記述があったとは。驚きだ。
著者の佐々木さんは当時の関係者の話を丹念に聞き、二人の天才の関係を明らかにする。その際、二人の作った辞書の項目にヒントを見出す。それはまるで推理小説だ。
最大の謎かつヒントは、『新明解』四版にある「時点」の不自然な用例、「一月九日の時点では、その事実は判明していなかった」だ。なぜ一月九日なのか。謎が解き明かされていく。文化事業をめぐるミステリー。しかも実話。興奮と感動が待っている。TV番組で日本語クイズをのんきに作っている私も身が引き締まった。