本書は、『蜩ノ記』で直木賞に輝いた葉室麟の受賞第一作。題材は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、目ざましい武功をあげ、“西国無双”と呼ばれた立花宗茂である。
宗茂と正室誾千代(ぎんちよ)に関しては、不仲とはいわないまでも考え方に微妙なズレがあった、とする作品が多い。本書も、関ヶ原合戦で西軍に与した宗茂が、帰路、別居している妻のもとへ立花家存亡の危機を伝えに行くところからはじまる。
宗茂は、あくまでも自分を大名に取り立ててくれた秀吉の恩に報じることこそ、“立花の義”と信じ、一方、秀吉に批判的であり、かつて貞操を奪われかけたことのある誾千代は、秀吉の朝鮮出兵と、欲得ずくで天下を取ったことを没義道(もぎどう)であると考えており、結局のところ、その秀吉のつくり出した世の乱れと関わらなかった宗茂が打ち立てたものこそ、“立花の義”である、と主張する。そして、宗茂は妻のいう「立花の義とは、裏切らぬということでございます」との一言に、誠のもののふの姿を見る。
かつて、弱肉強食の戦国時代と史上最低最悪の拝金主義が罷り通ったバブル全盛期を二重写しにして、日本人が廉恥を忘れた時代と規定した作家がいた。その中で男たちは、辛くも自分たちの“義”を立てようと腐心する。例えば、真田の“義”は「生き抜くこと」から「生きた証として武名をこの世に遺」すことへと変化し、牢人となった宗茂は、家臣を一人もリストラせず、艱難辛苦の果て旧領を取り戻す。
その一方、家康の懐刀、本多正信は、「それがしはただおひとり、大御所様を裏切らぬと決めた者にござる。それゆえ、他の者をいかに裏切ろうと平気でござった。かような者の心根をわかってもらおうなどとおこがましいことは考えており申さぬ」と、主君同様、どれほど手を汚そうとも恒久平和を実現するために腐心し続けた思いを“義”の人、宗茂にだけは告げずにはいられない。その心中、いかばかりか――。
そして本書が持っているいま一つの側面は、夫婦の物語であり、本書の陰の主人公は、中途、肺の病で逝く誾千代に他ならない。宗茂を支え続けたのは彼女のいう“立花の義”のあり方である。そして誾千代の思いはさらに利世のいう「――まこと愚かしきことながら、戦などこの世になければ」云々と、女子(おなご)たちの間を駆け抜けて行く。
そして島原の乱において「かような戦を起こしたのは、武家の不覚ぞ」と断ずる宗茂が〈平成〉のいまにお灸をすえるラストまで受賞第一作に恥じぬ力作だ。