書評

歴史小説家の若き日の作品から

文: 湯川 豊 (文芸評論家)

『うみの歳月』(宮城谷昌光 著)

 ゆったりとしたペースで、しかし着実に行なわれていた文体の探究は、ひとつの結実を迎えた。宮城谷氏が語っている。文体が解体し、辞書に帰っていってしまった言葉が、戻ってきて、「違和感なく原稿用紙のなかに放たれていく」ようになった。「そこで初めて本当に小説を書いてみたいという気」になった(全集第一巻 季報のインタビュー)。

 そして八八年に『王家の風日 小説・箕子伝』(史料出版社)が刊行され、九〇年に『天空の舟 小説・伊尹伝』(海越出版社)が刊行された。後者が九一年に第十回新田次郎文学賞を受賞し、宮城谷昌光という作家が自立してゆくのである。

 七三年に郷里に戻ってから、『天空の舟 小説・伊尹伝』の刊行までの十七年の歳月。それから堰を切ったように古代中国に材をとった大長篇が陸続と生みだされたのを思うとき、私はやはりほんものの文学精神が苦しみながらもひそかに辿った道を思わずにはいられない。
 

『うみの歳月』に収録されている諸篇は、時期的に見ても微妙なものがある。「発見者」のように一九九〇年に書き下して、いまだ活字になっていなかったものがある。「バラの季節」と「秋浦」は九一年六月刊のアンソロジー『名古屋恋愛物語』(海越出版社)に収録されている作品である。いずれも、文体の模索時代が終ろうとする時期の現代小説と考えられる。 「発見者」は、そのなかでも最も受け取りかたが難しい作品である、と私は思った。

 真田洋一郎、妻の祝子(のりこ)、母の時子の三人の、身動きがとれないような重苦しい関係の追究である。三人とも生きていくうえに必要なエゴイズムを持っているといえるのだが、とりわけ祝子と時子の本然的ともいうべき対立が、洋一郎に「最悪の現実」として迫ってくるという構図がある。

 洋一郎と祝子の夫婦は二人で旅をして気を晴らす。洋一郎は思い立ったように絵やカメラに熱中する。そんな試みで、三者動きのとれぬ人間関係になんとか風穴をあけようとするが、基本の構図はどこまで行っても変らない。洋一郎は、構図が変らないことを、一つ一つ発見してゆく。それが小説の記述になっている。


うみの歳月宮城谷昌光

定価:本体730円+税発売日:2017年11月09日