2017.12.22 書評

「真の歴史の語り部」が描き切った「ラストサムライ」の生き様

文: 本郷 和人 (歴史研究者・東京大学史料編纂所員)

『ラ・ミッション 軍事顧問ブリュネ』(佐藤賢一 著)

『ラ・ミッション 軍事顧問ブリュネ』(佐藤賢一 著)

 ――ラ・ミッションとは英語ではmission――使命、任務のことであり、転じて使節団を意味する。

1.「ラストサムライ」、ジュール・ブリュネ

 戦いに命を賭ける男たちの氏素性を詮索するなぞ、不粋の極みかも知れない。彼ならば言うだろう。戦場では士官も、下士官も兵隊も、みなが等しく「ダルタニャン」であるべきなのだ。与えられた職務をよくよく吟味し、勇気をもって完遂する。ああ、それこそが「使命」だと君たちに教えただろう、と。いや、お叱りはあとで受けるとして、是非とも紹介させていただきたい。

 ジュール・ブリュネは一八三八年一月二日、フランス東部アルザス・オー=ラン県ベルフォールに生まれた。父は軍隊附き獣医のジャン・ブリュネ、母はラウレ・ロシェ。理工科学校を卒業後、サン・シール陸軍士官学校、陸軍砲兵学校を卒業し、第三砲兵連隊附きの砲兵少尉に任官。メキシコに出征してレジオンドヌール勲章を授与され、近衛砲兵連隊附きに栄転。一八六四年、砲兵中尉に昇進。ついでシャルル・シャノワーヌ参謀大尉を団長とする軍事顧問団の副団長に選ばれ、陸軍砲兵中尉として一八六七年初めに来日した(のち日本滞在中に大尉)。

 本書に語られる日本での厳しく苦しい戦いの後、軍籍を勝手に離れたブリュネは裁判を受ける身となったが、離脱時の置き手紙が新聞に掲載されたことで世論の支持が集まった。フランスのエスプリを体現する軍人として原隊に戻り、一時は予備役に編入された(一八六九年十月)ものの、一八七〇年に普仏戦争が勃発すると現役に復帰。一等大尉として駐オーストリア・ウィーン大使館付きの武官補佐官となった。

 その後、武勲を重ねて将軍に昇進し、一八八九年には第四十八歩兵旅団長を務めた。また一八九八年には陸軍大臣となっていたシャノワーヌのもとでフランス陸軍官房長に昇りつめた。日清戦争時に日本に貢献したことから、一八九五(明治二十八)年、明治天皇から勲二等旭日瑞宝章を授与された。この栄誉には、政府の閣僚となっていたかつての同志、榎本武揚の上奏があったらしい。なお、日本陸軍のフランス留学生について、シャノワーヌとともに何くれとなく世話をしていたといわれる。

 一九一一年八月十二日にパリ近郊の自宅で死去。軍人として、まことにみごとな一生であったといえよう。いやいや、オンゴウ、くり返し言うが武人の本懐というのは栄典とか出世ではなくてだな・・・・・・。はい先生、それはよくよくわきまえております。それから、ぼくはホンゴウです。


ラ・ミッション佐藤賢一

定価:本体990円+税発売日:2017年12月05日