「順序を変えるのはその人の趣味で、たとえば演説をするときに、一番大事なことを一番はじめに言う人もあれば、一番大事なことは最後に言う人もある」
まるで、「交戦権の否認」を先にし、「戦争の放棄」を後にしたのは、芦田自身の趣味の問題であって、本来、どちらが先でもかまわないと言っているようにも聞こえる。そのくせ、芦田は自分が選択した順序の正当性を主張しはじめた。
「いったい『交戦権はこれを認めない』と言うから、『戦争を放棄する』という結果が出て来るのだ。『戦争をまず放棄する』と言ったその後で、『交戦権はこれを認めない』と言うことは、どうも順序を得ていない。……『国際紛争を解決するための戦争はこれを放棄する』こういうことが原則から出て来る結果なんだから、それで後に書いた方がよろしい。こういうふうに私は感じたのです」
まず、芦田は「交戦権」を国家が戦争を行う権利と解釈しているようである。そして、彼はあくまでも、「交戦権の否認」という原則があるからこそ、「戦争の放棄」という結果が生じるのであって、その逆ではないと言うのだ。
だが、鈴木は納得しない。佐藤のほうを見て言った。
「なにか先だって、金森国務大臣がおっしゃっていましたね? 戦争のほうは〈永久にこれを放棄する〉と言ってよいけれども……」
日本進歩党の犬養健も口を開いた。
「これはちょっと法制局に伺いますが、第九条の第一項は――いまちょっと鈴木君が触れられましたが――これは永久不動、第二項は多少の変動があるという、何か含みがあるように、ちょっとこのあいだ、国務大臣のご発言があったのですが……そういう含みがありますか?」
「正面からそういう含みがあるということを申し上げることはできないと思いますが、ただ気持をわかりやすく諒解していただけるように、金森国務大臣はああいう言葉をお使いになったのだろうと思います」
先だっての金森の発言も迂遠で、慎重なものだったが、佐藤も遠慮がちに応じた。この小委員会は、基本的に委員たちによる秘密懇談会で、政府側の人間は関与しないことになっているからだ。佐藤が出席しているのも、条文に対する修正意見を述べるためではなく、委員たちが法制技術上のアドバイスを必要としたときにそなえてのことに過ぎない。
犬養が重ねて問うてきた。
「したがって、この順序は無意味でなくて、相当意味がある?」
「意味があるということを申したいために、大臣はああいう表現を使われたと思います」
佐藤の解釈では、金森の言わんとするところはこうである。すなわち、第一項と第二項とを〈前掲の目的を達するため〉などという言葉でつないで、第二項の最後を〈永久に〉云々の形で結んでしまえば、独立後に再軍備の必要が生じたとき、面倒なことになる。侵略戦争を否定すると解される文を〈永久に〉という強い言葉とともに第一項に掲げるのはかまわないが、自衛権や自衛軍の保持に関わる規定については第二項に控えめに置き、改正しやすくしておくべきだ、と。
この第九条を、日本人の自主性を発揮するために修正すべきだと、最初に主張したのは犬養だった。犬養はまた発言したが、彼は第一項と第二項の内容の順序については、政府原案通りにすべきだと主張しつつも、芦田がこの条文の最初につけた〈日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し〉については、とても良い文だと言った。
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