前回までのあらすじ
終戦直後の昭和二十一年初め、日本はGHQの憲法案を押しつけられてしまう。この案を翻訳して日本の法律らしく形を整え、新憲法の下敷きにせよというのだ。翻訳にあたることになった内閣法制局の佐藤達夫は、ある日総司令部を訪問すると、そのまま新しい憲法の確定稿を作ることを迫られ、一昼夜“監禁”される。GHQとの厳しい折衝、枢密院での激しい議論を経て、憲法改正案は衆議院に提出された。その中で物議をかもしたのは第九条の文言についてだった……。
シビリアン
一
昭和二十一年八月一日に開かれた、衆議院の帝国憲法改正案委員小委員会(第七回)においては、芦田均委員長以下の十二名によって、また第二章第九条の検討が行われた。芦田は話しはじめるやいきなり、議論を締めくくろうと一同に質した。
「〈声明す〉とか〈宣言す〉といった文字を削って、それで一応の修正とすることにご異議がないでしょうか?」
第四回(七月二十九日)に、芦田が議論の叩き台として最初に提示したのは、次のような条文だった。
日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。
前掲の目的を達するため、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
政府原案の第一項(戦争と、武力による威嚇または武力の行使について)と、第二項(戦力と国の交戦権について)の順序をひっくり返した上で、日本人の積極的な態度を示すために、第一項を〈声明す〉という文言でしめくくっている。また、第二項の規定も、国際平和を希求するがゆえに、日本人が自主的に設けたものであることをはっきり打ち出すべく、その冒頭に〈前掲の目的を達するため〉という言葉を付した。
しかし以降、委員会においては、〈声明す〉とか、〈宣言す〉などという言葉は法律の条文に相応しくないという意見と、いや、第九条については宣言的文言こそ相応しいという意見とが対立し、容易に解決を見なかった。もちろん、芦田当人は宣言的文言を強く支持したが、政府委員として出席していた法制局次長の佐藤達夫は反対だった。
しかし、第五回の小委員会(七月三十日)に、臨時に出席した金森徳次郎国務大臣(憲法問題担当)は、自分は意見を述べる立場ではないとしながらも、「なるべく国内法の形を採るほうが調和的である」との見解を示した。つまり、〈声明す〉や〈宣言す〉は法律の条文には相応しくないと言ったのである。芦田はそれを受けて自らの主張を引っ込め、宣言的文言を削ることで九条に関する議論を終了させようとしたのだ。
ところが、日本社会党員で、法学者の鈴木義男が待ったをかけた。
「いや、その書き方を変えるのは賛成しますが、問題は第一項と第二項の順序を変えることです」
芦田は意外そうな顔つきになった。
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