「犯人は、〇月〇日、〇時〇分に〇〇駅から〇〇線に乗って、〇〇車両の座席の一番端に座っていて、あなたがその近くに立っていて、あなたのカバンが目の前に来た時に、すっと外側のポケットから生徒手帳を盗んだ、と供述しているのですが、その時のことを覚えていますか?」と聞かれた。
私は、犯人は沢山盗んだ上に、よく、その一つ一つを詳細に覚えているな、と感心してしまった。犯罪日記でもつけているんだろうか、と。
掏られたことさえ分かっていなかった私は、朝の通学の電車は混んでいて、よく覚えていない、ということしか言えなかった。それでも刑事さんは、大丈夫ですよ、と笑顔で言いながら、手元の紙に何かを書き込んでいった。
それであなたの生徒手帳の中に入っていたものとして、と、私の目の前に、テレホンカードとプリクラと小さく折り畳んだ手紙を置いた。
「これ以外に入っていたものは、ありませんか?」
私は生徒手帳のカバー部分をファイル代わりに使って、色々入れていたので、ここでも、しっかりした返事ができなかった。犯人は、あんなにしっかり覚えているのに、ことごとく私は曖昧で、申し訳なくなってきて下を向いた。すると刑事さんが、
「手紙をちょっとだけ読ませて頂いたのですが、あなたは、テレビに出るお仕事をされているんですか?」
と言った。ようやく「はい!」と、胸を張って返事ができる質問を頂けた。当時既に芸能活動を始めていて、その手紙は、共演して仲良くなった女優さんに宛てた手紙だった。授業中に書いたものの、結局渡す機会がないまま、生徒手帳に入れっぱなしにしてあったのだ。さらに勢いづいて、当時出演したドラマのタイトルまで聞かれてもないのに伝えると、刑事さんは、
「そうかあ。僕はテレビを見る時間はあまりないのだけれど、もしかしたら息子は、あなたのことを知っているかもしれないね。帰ったら聞いてみよう」
と言って、にっこり笑った。
急に父親の顔を覗かせた刑事さんに、一気に親近感が湧いた。
「アナザーフェイス」を読んでいて、主人公の大友鉄に懐かしさを感じるのは何故だろうと思っていたのだが、途中でふいに、この時のことを思いだした。
刑事の顔と同じくらい、父親としての顔を頻繁に覗かせる大友。事件に頭を悩ませながら、夜の献立をも考えている刑事には、なかなかお目にかかれない。さらに学生時代、演劇青年だった彼には、役者としての顔もある。カメレオン俳優の如く、現場に溶け込み、培った演技力をフル活用する。人物になり切り、身元を偽って容疑者に近づき、見事に変装して尾行し、記者を煙に巻くためには自在に涙を流す。
シリーズ前半は演技論が度々出てきて、役者としての顔も頻繁に見られた。だが、三作目の『第四の壁』で、かつて在籍した劇団で殺人事件が起こり、本物の役者の狂気を目の当たりにした大友は、それ以降、必要に応じて芝居をすることはあっても、役者としての顔はなりをひそめ、代わりに、刑事としての顔が色濃くなってくる。
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