母親がキーパーソンの役目を果たすのは、「赤ん坊はいつ来るか」でも同様だ。読み手をも暗い水底へ誘うような危うさを孕んだこの一篇において、主人公の〈ぼく〉が回想する母親は、一人鮮やかに屹立する灯台のような人だ。赤ん坊ほしさに心を壊す隣家の妻。追いつめられた末に金で赤ん坊を買おうとする夫。博打に負けて背中の刺青を肉ごと切りとられた男。暗い現実があまりに重なると、人はどこかで麻痺していく。そんな馬鹿なと思えず、そんなものだと思うようになる。が、日々の生活に追われながらも隣家の夫妻を常に思いやっている〈ぼく〉の母親は、川から自分たちの赤ん坊が流れてくるはずだと訴える人妻に流されず、共に沈まず、決然と言う。「ほんなら、小沢さんの赤ちゃんを捜そ」。そして実際、懐中電灯を握りしめ、夫妻を川へ導いていくのである。世界の捻れに屈しないその威勢もさることながら、私は最後に彼女がつぶやくなんでもない一語に救われる思いがした。「世の中には、恐ろしいことをする人らがいてるもんやなァ」
無論、女の誰しもが人の母として存在するわけではない。「チョコレートを盗め」では家庭を持たないおでん屋の女将が描かれているが、身持ちが堅いと思われている彼女の過去には暗い影がある。その闇に潜んでいたものが最後に顔を覗かせる瞬間、ぞくっとするような戦慄と共に、家庭に希望を見出せなかった女の切なさがひしと迫ってくる。
過去に影を持つのは「暑い道」の鮮烈なヒロイン、さつきも同様だ。美しい混血の少女である彼女がどんな男も受け入れる女神のような包容力を持つに至った陰には、伯父をして淫売となじらせる母から生まれた屈折が見え隠れしている。故に、彼女は男と交わるたびに「一番好き」と心の上位を強調せずにいられなかったのかもしれない。自己破壊的な人恋しさを抱えた美少女の行く末は推して知るべしだが、だからこそ余計に、最後の最後に現れた意想外の相手(私は彼が大好きだ)には心からの喝采を送りたくなった。
家族の影を引きずる女たちの一方で、本書全体を通じて、男たちは父や夫である以前にまずどこまでも男として存在している印象が強い。たとえば、所帯持ちでありながらも妻子の匂いを感じさせない「香炉」の〈私〉。そして、自ら営む喫茶店に通う風変わりな女に惹かれる「ホット・コーラ」の英男。この両篇は共に謎を追うミステリータッチで綴られているけれど、今ある現実に対してどこか心ここにあらずというか、掴みどころなく揺蕩(たゆた)うような主人公たちの男心も、私には普遍のミステリーに思えた。
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『皇后は闘うことにした』林真理子・著
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