「そりゃ、ありがとごいした」
「気持ちずら、気持ち。二度ボコの頃には花が咲くずら。ほっほっほっ」
サブ兄ィは溢れだすような無邪気な笑顔をオレに向けた。
ボコとは子どものことで、六十になったら再び子どもに還っていくという意味をこめて、還暦をこの地域では「二度ボコ」と言うのだ。過去から未来に向けて直線的に進むジカンではなく、六十年経ったらまたボコに還るという円を描くようなこの時間感覚がオレは気に入った。
その後、ヤマザクラの若木は枯れることもなくズンズン成長して、年々盛大に花を咲かせるようになった。
淡いサクラ色を眺めながら茶を点て、独り還暦を迎えたオレは、いつの間にやら古希もやり過ごし、気が付けば七十も半ばを超えた後期高齢者といわれるジジイになっていた。
明日なんて知ったことかと自暴自棄で呑んだくれていた三十代。少し名前が売れて稼いだ小ゼニで下町に工場を建て、調子にのって酒場に繰り出していた四十、五十代。そして、身から出た錆の借金返済の算段に追われた六十代。この齢になれば、仲間も次から次へとあの世へ旅立っていく。
十七歳で室蘭の実家から家出して以来一度も顔を合わせていなかった親父は人工呼吸器のチューブに繋がったまま死んだ。シャバとブタ箱を行き来していたヤクザな弟も最後の出所から間もなく行き倒れて死んだ。十八歳でオレを産んだオッカサンもオレの目の前で最期の溜息を全て吐き終わり、老衰で旅立った。
血縁も古くからの知り合いも、片手で足りるほどになった。誰の旅立ちも悲しいけれど、もう若い頃のような殊更なショックはない。三日もすれば日常に戻る。ロウソクの火のように「消えちまったか」と思うだけだ。忘れはしないけれど、特別に偲んだりはしない。
この二十年で作業場のある山岳の村もかわった。スズメバチや毒虫に刺されたり、切り傷、火傷、食中毒など緊急時に世話になっていた唯一の小児科病院は廃業し、スーパーチェーン店も会社更生法も虚しく三年で潰れちまった。
外食産業や便利なシステムはもう何ひとつ寄せ付けない過疎のムラで、オレみたいな遊行の者は、知り合いの百姓からの頂き物や道の駅などで安く手に入る地産の農産物を中心に自炊で過ごすしかない。
今日も食料のストックが尽きたので、道の駅で大根と納豆、豆腐を買った。
「風が強いから自転車、気を付けてね」
帰り際にレジのオバヤンが心配そうに声を掛けてくる。オレの背骨はまだしっかり起っているハズだが、傍目にはヨレヨレに見えているのか。
店を出てガラス戸に映った自分の姿をこっそり確かめる。まだヨレってはいない。
自動車免許のないオレの移動手段は二足歩行か自転車だが、中古で手に入れた電動式自転車のバッテリーは劣化の一途をたどり廃車寸前になっていた。
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