別冊文藝春秋

『四十六種類のブロック』二宮敦人――別冊コラム「偏愛がとまらない」

文: 二宮 敦人

電子版20号

「別冊文藝春秋 電子版19号」(文藝春秋 編)

 僕は何事にも熱しやすく冷めやすい性質だ。

 先日はコーヒーの美味しさに気づくなり専門書を何冊も購入し、豆を色々と試すまでになったが、ある日突然興味をなくし、普段の飲料は白湯に戻ってしまった。結局、お湯を沸かすだけで飲めるという、簡単さに勝るものなどない。

 そんなことを何度も繰り返しているので、家には多様な専門書が積まれていて、自分にとても迷惑している。エアコンの分解修理の本から、敵地で捕虜になった時の脱出マニュアルまであるのだ。

 そんな僕が愛し続けている、今後もおそらく飽きなそうだと思えるものはたった一つ、文字しかない。

 現在の僕は大変ありがたいことに、文字を紡ぐお仕事をさせて頂き、生きている。しかし、執筆は楽しいと思える時ばかりではない。自分の文章を見るだけでうんざりする日、どうしても続きを書く気力が湧かない日もある。ひどいとゲラを見て吐き気がしたり、文章なんてこの世から絶滅しろと叫んだりもする。最近、そんな時にぴったりの気分転換を見つけた。

 文章を書くことである。

 ピアノ、絵、ゲーム、映画、睡眠、女性、食事、買い物、あらゆることを試したのだが、結局のところ文字をいじり回しているのに勝る癒やしは存在しないと判明した。お仕事のためではなく、ただ自分のための文章を書く快楽。内容はその時によって様々で、エッセイだったり、小説だったり、あるいはただの無意味な羅列だったりする。もちろんできあがるのは、ゴミと吐瀉物のリゾットみたいな作品だ。とてもお客様にお出しすることはできない。

 かくして僕は仕事と趣味、どちらでも文字と戯れている。

 なぜそこまで、という話だが、一つ喩えを出したい。

 レゴブロックで遊んだことはおありだろうか。プラスチック製の四角いブロックに突起がついていて、ブロック同士を押しつけるとパチリとはまる。ばらばらの時は無数の直方体に過ぎないが、パチリパチリとはめていくうちに、恐竜だとか家だとか、そういった形を作り上げることができる。

 文字はブロックだ。

 平仮名なら四十六種類のブロックがある。どの種類のブロックも大量に用意されていて、好きなだけ使っていい。さあ、これで遊ぼう。もちろんやり方は自由だ。ひたすら「あ」を並べたっていい。だが、文字は上手く組み合わせていくことで、何かを意味する言葉が作れる。言葉をさらに組み合わせていくと文章になる。文章が積み重なり、物語ができる。たかが文字の癖に時間経過が、起承転結が生まれてしまう。巨大な構造物が、有限の小さなパーツから組み上げられるという面白さ。

 それが文字と文字を組み合わせる心地よさの先にある。高尚な芸術表現とはほど遠い、原始的な快楽だ。これとこれを繋ごうと決めて並べてみる。二つ繋がると、その先に来る文字も何となく決まってくる。その文字をおそるおそるつまみ上げ、そうっと指先で押し込む。頭のどこかでカチリと音がしてぴったりと接続されるのが気持ちいい。梱包材を指で潰すとか、枝豆を剥くとか、そういうのと同じだ。感触なのだ。

 何度もいじっていると、このブロックがとてつもない底力を秘めているとわかってくる。文というのはある種の論理的な構造だが、時に非論理的な何かを伝える力があるようだ。ブロックという三次元的な構造体で、四次元を思わせるアートを作ってしまう人がいるような、そんな話だ。これに気づいてしまうと、もう戻れない。ずっと文字を触っていられる。

 と、僕は思うのだが。同じ趣味の人がなかなか見つからない。

別冊文藝春秋からうまれた本



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発売日:2018年06月20日