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座談会「小沢昭一さんの正体」#1

座談会「小沢昭一さんの正体」#1

加藤 武(俳優) ,矢野誠一(劇評家) ,三田 完

『あしたのこころだ』(三田 完 著)


ジャンル : #小説

『あしたのこころだ』(三田 完 著)

 加藤 三田さんの『あしたのこころだ 小沢昭一的風景を巡る』は、よく調べて書いてありますね。

 三田 ありがとうございます。私は小沢さんとは、ラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」での最後の約三年間、小説家と並行して台本を書かせていただいた縁で、短期間でしたが定期的な交流が生まれました。本では、小説とエッセイの間のような形式で、幼少期を過ごされた蒲田や、人生最後の旅で訪れた下諏訪温泉など、ゆかりのある場所を私が巡って起こった出来事や、感じた思いを綴っています。書くことを通じて、小沢昭一さんという人を少しでも理解したいと思っていたのですが、多面的で本質を探るのが難しい人ですよね。

 矢野 おっしゃる通りです。僕と加藤さんも参加している東京やなぎ句会という俳句の同好会が出した『友ありてこそ、五・七・五』(岩波書店)という本の中で、変哲(小沢さんの俳号)の追悼エッセイの章があります。そこで柳家小三治さんが、色々な小沢さんの姿を羅列していて、結局よくわからないと書いている。たしかにどれもが小沢さんの顔なんですよね。その場その場に合わせて、色んな顔を見せていました。

 加藤 僕は(旧制)中学からの同級生だから、ずうっと彼を見ているんですけど、昔から融通無碍でした。

 三田 気配を消すというか、その場の背景に溶け込むのがお上手なんですよね。ある方のエッセイで、小沢さんが下北沢で歩いているのを見たけれど、完全に街の風景と同化していて凄いという文章を読んだことがあります。それから、ラジオの収録が終わったあと、一緒にTBSから赤坂見附駅まで歩いていても小沢昭一が歩いていると気付くひとはあまりいないんです。あれは不思議でした。それは昔から素地があったんですね。

 加藤 麻布中学って、一年生の二学期から成績順に席が変わるんです。トップから順に後に坐る。僕は五十人中三十何番で前から三列目くらい。芝居だと一番いい席です(笑)。小沢は後ろのほうでしたね。

 矢野 僕も麻布の出身ですが、僕らのときはもうそういうシステムじゃありませんでした。

 加藤 もともと小沢は府立一中を受験したんだけど、入学試験のときにはしゃいで電球を割ったとかで落ちたらしいんですよ。僕も府立三中に落ちて、麻布を受けた。麻布は落ち武者たちのたまり場だった(笑)。

 三田 特に加藤さんの学年は、劇作家・脚本家の大西信行さん、俳優の仲谷昇さん、作家で精神科の医師でもある、なだいなださん、フランキー堺さんなど、多士済々で有名です。

 加藤 毎日が寄席に行っているみたいな楽しさでした。特に二年のときにフランキー堺と同じクラスになって、そこからぐっと面白くなった。瞬間芸みたいなことはやる、落語もうまい。そのとき小沢は別のクラスだったんだけどフランキーばかりが注目されるのが面白くなかった。彼がウケているときに、プルルルン~と変な音がする。見ると小沢がハモニカを持って立っている。俺にはこの芸があるんだぞというところを見せるんです。

 矢野 ちょうど僕が麻布に入ったときは、六・三・三制の戦後の教育改革の第一期で、加藤さんたちの学年は卒業されていたんですが、すぐに大学に行かなかったグループが三階の開放されていた物理教室に、必要もないのに来ていて。担任の先生から最初に言われたのは、あの近くにあんまり近寄るな、って(笑)。治外法権のようになっていました。

 加藤 階段教室ね。僕は四年修了で早稲田高等学院に入っていたんだが、里が恋しくて卒業後も入り浸っていました。

 矢野 いまでも覚えているのが、入学してすぐの五月にあった文化祭をなぜかその卒業生グループが仕切っていたこと(笑)。イガグリ頭の小沢さんが、部活ごとに趣向を変えて模擬店を出しましょう、だけど、焼き芋屋、あれだけはやめましょうね、野暮ですから、と言ったらもうドッとウケたのをよく覚えています。他にも、芸達者な人が大勢いて、ラジオ番組のパロディなんかをやって、もう抱腹絶倒でしたね。

 加藤 その文化祭では、小沢とフランキーが復員漫才というのをやっていた。街は復員兵だらけだったんで、フラさんが陸軍、小沢が海軍帰りとなりました。フランキーが復員して、食っていけないから芸能学校を始める。生徒を募集すると応募生が芸を演じる趣向でした。

 矢野 小沢さんは落語の『新聞記事』をやっていました。『阿弥陀池』の改作ですね。

 加藤 菊池寛の『屋上の狂人』の芝居にも出たし、落語もうまかった。小沢は舞台に立つと変化球を投げて来る。油断がならない。ハモニカを吹く段取りの対談をしていても、ハモニカを忘れたなんて言い出して肩すかしを喰わすんです。

 三田 加藤さんは、小沢さんと芸能座でお芝居も一緒にやってらっしゃいましたが、そのときはどんな感じだったのでしょうか。

 加藤 本番では当意即妙、アドリブでやっているように見えるんだけど、実を云うとあんな、稽古好きな奴はいない。それで幕が開くと汗びっしょりの熱演型なんだ。悪気はないが、前に出てしまうからこっちはやりにくいったらない(笑)。

 矢野 よく芝居は稽古のほうが好きで楽しいとおっしゃっていました。本番になるとそんな余裕がなくなって、シャカリキになっちゃうって。

 三田 ラジオでも、スタジオに入ると収録の時間はかかりませんでした。毎週月曜日に収録があるんですが、一回だけ通しでリハーサルをして、もう本番という形。取り直しということはほとんどありません。それでふと台本を見ると、何かチョコチョコとよく分からない印が書いてあって、入念に下読みした形跡があるんです。実際、コハダは仕込に時間がかかるけど、握るときはそう時間がかかんない、みたいな話をよくしていましたね。

 加藤 ラジオは一人でやるから、合っていたんでしょうね。だから最後に一人芝居に到達したのは正解。実際に『唐来参和』『榎物語』といった一人芝居の金字塔を打ち立てたんですから。

 矢野 実は小沢さんは、一度お客さんを一人も入れずに一人芝居をやったことがあるんですよ。チラシや切符まで作って。たしか井上ひさし作品で。

 加藤 『不忠臣蔵』じゃないですか。

 矢野 そうかもしれません。ポスターにはチケット一枚いくらと書いているくらい、凝ってるんですよ。そういった宣伝物にお金をかけて、もちろん、スタッフにもきちんとギャラを払っている。わざわざそんなことをやってみせたのが面白いですよね。一世一代の贅沢というつもりだったのかもしれません。

2へ続く

文春文庫
あしたのこころだ
小沢昭一的風景を巡る
三田完

定価:770円(税込)発売日:2018年12月04日

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