人を惹きつける能力
三田 こうしてお話をうかがっていますと、小沢さんの素顔はすごく立派な大人なんですよね。きちんとした大人が、エロ事師に身をやつしておられる。そうそう、本にも書きましたが、「小沢昭一の小沢昭一的こころ」に三十年以上かかわり、番組内で“ノー天気プロデューサー”として話題に上がる坂本正勝さんという方がいます。
矢野 TBSを退職したあとも、番組にかかわっていらっしゃった方ですね。
三田 そうです。“ノー天気”というのはだいぶデフォルメされているのかと思いきや、坂本さんは旅に出て、切符を買い直すとかがまったく出来ない人なんですよ(笑)。そういう時に、部屋割りやらなんやらをやってくれたのが小沢さんだったという話を聞いて。相当に立派な社会人ですよね。
矢野 坂本さんは結局、小沢さんのために一生を捧げちゃった人でしょう。宝塚のスターでも、超大物には必ずそういう周りの人がいます。
三田 また、小沢さんも坂本さんのことが大好きだったんだと思います。年に一回スタッフを集めた忘年会を赤坂の中華料理店で小沢さんが開いてくださるんですが、坂本さんがいつもお酒も飲まないで異常にはしゃぎだすんですけど、それを小沢さんはほんとに嬉しそうに見てるんですよ。
矢野 この人に人生を捧げるっていうのはなかなかできることではありません。そういう人を惹きつけるものが小沢さんにはあるんですよね。
三田 面倒見もよくて、お若いころ、俳優の佐藤慶さんの相談に乗ってらっしゃったりとかいろいろしてるんですね。
加藤 ほかにも小沢は演出家・俳優の早野寿郎とも仲が良くて。
矢野 小劇場活動の先駆けの人ですよね。早野さんは。
加藤 新劇という概念を打破した人です。
矢野 僕、演劇雑誌の『悲劇喜劇』に短い文章ですが、早野さんのことを書いたことがあって、そうしたら小沢さんが本当に喜んでくれて。「早野の仕事というのはちゃんと記録されてないんだよ」っておっしゃって。
三田 そういう細かい目配り、思いやりもきちんと持っている人だったんですよね。
晩年の姿
加藤 くしくも先日、桂米朝さんがお亡くなりになりましたが、米朝さんと最後にお目にかかった時にちょうど小沢も一緒で……。
矢野 二〇一二年の八月ですね。「米朝一門夏祭り」の会に呼ばれたんですよ。
加藤 米朝さん、小沢、大西や僕も、作家で落語や寄席の研究家でもある正岡容の弟子なんですよ。その縁もあって米朝祭りに招かれたんだけど、一門のトップである米朝さんは高座へは立てない状態だった。でも僕たちに会うと記憶が甦って元気になるので座談会をやりました。そのとき小沢もだいぶ弱っていました。
矢野 句会にもあれから出てこなくなりました。小沢さんという人は、仕事では色んな顔を見せるけれども、やなぎ句会ではリラックスしているのか、裸の姿というか、あそこでしか出さない顔を見せるんですよ。大阪に一緒に行ったのは、他に大西信行さんと永六輔さんでしたね。
加藤 あのおしゃべりの小沢が座談会ではあんまり話をしなかった。それが突如……。
矢野 いきなり浪花節を披露したんですよね。
加藤 “バカで間抜けでおっちょこちょい”って正岡容が作った『灰神楽の三太郎』を。ただ、いきなりだったから、みんなびっくりしちゃった。
矢野 正岡さんの話や何かをしていると、米朝さんの頭の回路がつながるんですよ。あのときは、こんなことがあった、とかって。
加藤 同時に小沢の回路もつながっていた。
矢野 小沢さんも、もう米朝祭りに行く前から、句会に来ても、ちゃんと成績はいいんだけども、ほとんどしゃべらなかった。
加藤 かなり弱っていました。行きの新幹線の中でも、殆ど会話なし。新横浜を通過する際に、「あ、ここへアンチョコ(編集部注・解説や解答のついた教科書)買いに来たなあ」ってポツリとつぶやいた。
矢野 そうでしたね……。
加藤 こっちも、大変だと思うから、黙ってました。あれは悲しかった。さあ、米朝さんも小沢も先に逝ってしまった……。
矢野 小沢さんはかねてから、辞世の句は「あと三日生きて香典調べたし」だって、おっしゃってたのはご存知ですか?
加藤 たしかに昔から葬式の話は好きだった。先に死んだら残った方が弔辞を読もうとか、葬式の段取りまで決めました。例えば愛人が来たら、本妻に内緒でお骨を少しもたせてやるとかそんな細かいことまでもね(笑)。
三田 巧いでしょうね。そういう捌きは(笑)。
矢野 それがいざお亡くなりになったら「香典辞退」って。結局、なにが本音なのか分からない。
加藤 香典どころか花輪も受け取らなかった。生きている中に決めていたに違いなかったんです。
三田 お通夜とお葬式のとき、私はお手伝いとして参加したんですね。お通夜のお客様がおおかたお帰りになったあと、お清めの席でわれわれ手伝いの者たちも飲み食いをしたんですけど、お腹が空いていたから、ついパクパク食べちゃうんですよ。そうすると次から次へとお寿司が出てくる。通夜ぶるまいの寿司桶が空にならないようにと、小沢さんは生前、ご家族に伝えていたんじゃないでしょうか。すみません、意地の汚い話で(笑)。
加藤 生きてるときはもちろん、死んだあとも見事なやつでした。舞台と同じで大詰めで「肩すかし」を喰わされました。……今日はたっぷり小沢の思い出話ができてよかったです。
(オール讀物二〇一五年五月号掲載)