角幡唯介の本は、パッと開くとだいたい黒っぽい。いまどきの本にしては文字が小さめで改行が少なく、紙面に余白がないのである。
なぜそうなのか、本人に聞いたことがある。答えはこうだった。
「文字が詰まっているほうが頭がよさそうに見えるでしょ」
本人的にはもっと詰め込みたいらしい。本文二段組みとかが理想なのだという。
本書も相変わらずの角幡節で、文字ギュウ詰めである。本屋大賞ノンフィクション本大賞を受賞して好評を得た『極夜行』で描いた探検行の準備段階を記した一冊なのだが、文字数は本編よりさらに多くなっている。
準備段階とはいえ、かけた日数は約四年間。その間、三回も北極圏に出かけており、テスト的な極夜探検を実行している。本書では、その“プレ探検”の紀行を中心としながら、国内での準備の実態までもが詳しく描かれている。
ちょうどこの準備期間にあたるころ、何度か角幡に話を聞く機会があった。なぜ北極なのか、なぜ極夜なのか、なぜGPSを使わないのか。私は角幡と同じ大学探検部出身なので、彼の言うことは十分理解できた。ただし極夜というのだけはよくわからなかった。
「何日も暗闇のなかにいると人間はどうなるか、森山さん想像できますか」
いや、できない。
「事前に結果が想像できない混沌にあえて身を投じることこそが探検だと思うんですよ」
理屈はわかる。でも頭でわかって心でわからないというか。そのときは「なるほどね」と、いまひとつ力の入らない返事をするほかなかった。
その後『極夜行』を読んで、「ああ、角幡はこういうことがやりたかったのか」と初めて理解できたような気がした。彼の問題意識をしっかりと共有するには数時間の会話では足りず、これだけの文字量が必要だったのだ。角幡の通ってきた道を、読書というかたちで時間をかけて追体験することで、私はようやく極夜の意味がわかったのである。
本書の読書中にも、似たような思いにとらわれた。本書で角幡は、探検を成功させるためにあらゆる試行錯誤を繰り返す。思いついては試し、あるものはうまくいき、あるものは失敗する。本編にあるような大きなカタルシスはないかわりに、ひとつひとつ扉を開けていくような発見はこちらのほうが多い。その一連をいっしょに体験することで、角幡が解き明かそうとしていた“未知”のボリュームをより深く理解した。濃密な体験は濃密な文章でないと伝わらなかったのだ。
それにしても、これだけわかりにくい話を、しかもそれを単調きわまりない場所を舞台にして、これだけの量読ませてしまう文章力はすごい。頭がいいのかどうかは本当にわからない男ではあるけれど、文章がすばらしいことは確かである。
かくはたゆうすけ/1976年、北海道生まれ。作家、探検家。早稲田大学政治経済学部卒。同大学探検部OB。2018年『極夜行』でYahoo!ニュース|本屋大賞ノンフィクション本大賞、大佛次郎賞を受賞。『空白の五マイル』『雪男は向こうからやって来た』など著書多数。
もりやまけんいち/1967年、神奈川県生まれ。フリーライター、編集者。早稲田大学教育学部(地理歴史専修)卒。同大学探検部OB。
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