夫の方は網膜中心動脈閉塞症と診断され、その日の夜、二人で帰路についたのだが、途中、母の入院先の主治医から電話がかかってきた。昨日、咳と微熱があったが、すでに平熱に戻っており、本人はいたって元気、という拍子抜けするような内容だ。だが、休日の夜にこんな些細なことで連絡が入るのも不自然で、医師のことさら呑気な口調の背後に、「認知症病棟で感染症発生」という最悪事態が起きることへの強い警戒感と、家族にそれなりの覚悟を促す意図がうかがわれた。
一方、夫の病気については、今後、心臓や脳の梗塞が懸念され、検査と治療のために、眼科の他に同じK大病院の内科、循環器科に数日置きに通院することになった。
検査や診療を待つ間にも、間を置いて座るように指示され、スタッフがベンチやドアノブ、手すりなどを頻繁に拭いている。わずか一、二週間のうちに警戒レベルが格段に上がってきているのを感じる。
三月半ば、胸苦しさを訴えた夫に付き添いK大病院の救急外来を受診。例によってまず検温。咳、喉の痛みの有無について質問。その後、救急救命室に入った。広いフロアがカーテンで仕切られ、サイレンの音とともに次々患者が運び込まれてくる。カーテン越しにがん宣告が聞こえてくるかと思えば、反対側からは「ご長男に連絡つきますか?」の声。
医師は男女半々くらいだが、看護師のほとんどは若い男で、ウェアから出た彼らのたくましい腕と運動部系の口調に驚かされる。ベッドの向こうでは使用済み脱脂綿や器具、汚物の処理がひっきりなしに行われ、通常時ももちろんそうなのだろうが、格段の注意が払われていることが、そのやりとりからうかがわれる。若い男だらけの空間の緊迫した空気に、まさに戦場か、と思う。この場に感染者が運び込まれたらどうなるのか。他国のことと捉えていた医療崩壊が、身近なものとして認識されてくる。
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