「彼女は女医で、その人生において様々な経験を積んでいたにもかかわらず、スズメにベッドを出ろと命令されたのは初めてだったと感慨深げに言った。」(本文より)
若い頃は、足でぴょんと蹴った反動でひっくり返り、仰向けに横たわる(野生の鳥は生きている限り、決してこんな状態にはならないだろう)のが好きだった。「彼はよくそんな恰好をして、横目で私を見ながら、こんな鳥ってあるかしら、と言わんばかりのコミカルな表情をしたり、私がくすぐると、その小さな足で私の指を押しのけたりして遊んだ。」(同)
「日本人らしさ」というものがあっても、すべての日本人が同じ性格というわけではないように、スズメの本能というものがあっても、すべてのスズメが彼のようだとは思えない。逆に言えば、野生の鳥もすべて個性を持っているのだということだろう。
ここで詳しく述べられないのが残念だが、彼は夫人のピアノに合わせてトリル等を多用した素晴らしくゴージャスな歌を歌い、戦時下では人々の喝采を浴びるようなパフォーマンスも披露した。
「扇型に突っ立った羽」は致命的な障碍と思われたが、彼はそれを自分の感情表現に効果的に使い、次第に夫人にとってはそれこそが、他の何物でもない彼自身の象徴に思えるまでになった。晩年、脳卒中を起こし、体に麻痺が残ったが、生まれつきいびつだった蹴爪を生かし、餌を食べる手段に使った。バランスをとることが難しくなりしょっちゅうひっくり返るようになったときも、ぴょんとジャンプし、完璧な宙返りから正しい状態に着地できるようになった。これは若い頃もしなかった技である。
どんな状況にあっても、最期まで、決して諦めず、いつも今の状況から一歩先へ進むように努力した。すさまじく刺激的な良薬として、彼はなんと、夫人に勧められるまま、シャンパンまで口にした(これが劇的な効果を示した)。最期は、夫人の言葉を借りれば、「生まれついての不自由な体でありながら、長い生涯を通じてくじけることなく戦い続け、ついに立派な休息を勝ち得た」のだった。
「……小さな癇癪や嫉妬をのぞけば、彼の性格に欠点はなかった。――略―― 決して盗みをしたこともなく、自分に与えられていないものをとったこともなかった。ずるいところもなく、人をだまそうとしたこともなかった。――略―― 陽気で、熱中しやすく、衝動的で、自分のやりたいことをよく心得ており、目的が容易にぶれることはなかった。周りの環境 ――略―― への適応力は一貫しており、勇気と陽気さは、病気や衰弱しているときでさえ、決して失われることはなかった。私に対する誠実は、終生、疑いようもなかった。」(同)
私事であるが、この部分を訳しながら、私は亡くした飼い犬のことが思い出されてならなかった。
半世紀以上も前に死んだ、小さなスズメの話である。それがこれほどまで「生きるということ」、「生き続けるということ」を考えさせる。
本書のタイトル、サブタイトルは勝手につけさせていただいたが、原題の「Sold for a Farthing」は、生前このスズメが偶然嘴の先で指し示した聖書の箇所、「二羽のスズメは一銭にて売るにあらずや、しかるに……(スズメは二羽一銭で売られているほど取るに足りないものである、だが……)」(マタイによる福音書 十章二十九節)からとられた。
その小さなスズメは、名をクラレンスという。
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