- 2020.08.18
- 書評
豪華寝台列車の先駆けとなった「上野発の夜行列車」散り際の輝き
文:小牟田 哲彦 (作家)
『寝台特急「ゆうづる」の女』(西村 京太郎)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
昭和63年3月に青函トンネルが開通するまで、青森は、本州の鉄道にとって北の絶対的終着駅だった。
北海道を目指す旅客の主流はすでに航空機へと移っていたが、それでも、青函連絡船との接続が考慮された特急・急行列車が多数設定されていた。航空機や新幹線の恩恵を受けない途中駅の利用者にとっては、北海道を目指すにしてもその手前の駅で降りるにしても、とにかく青森まで走る列車があればそれに乗ればよいことになる。
さらに、首都圏では「東北方面の長距離列車のターミナルは上野である」という明治以来の慣習が存在し、社会的に定着していた。かくして、首都圏から東北方面へ向かう長距離列車の多くは「上野発青森行き」とほぼ固定され、「上野発の夜行列車」は青森が終点であると、歌謡曲のメロディーとともに全国民に認知されるに至った。
この「上野発の夜行列車」は、たどるルートが多彩であった。東北地方の大動脈である東北本線に限らず、内陸部の奥羽本線や日本海沿岸の羽越本線など、さまざまな路線に分散して走り、最終目的地の青森を目指していた。これは、首都圏から関西や九州方面を目指す夜行列車がわざわざ中央本線や山陰本線へと迂回せず、ほぼ一律に東海道本線と山陽本線のみを走破している点との大きな違いである。
常磐線は東北夜行のメインルートだった
そうした多様な「上野発の夜行列車」の中に、常磐線を太平洋沿いに北上する列車が、明治時代から存在していた。上り坂の登攀力に難がある蒸気機関車が牽引する長距離列車にとって、海岸付近を走る常磐線は、内陸部を走る東北本線よりも路線全体が平坦で勾配が少なく、走りやすかったからである。
また、東北本線は磐越西線や奥羽本線へ直通する列車も走ることから、上野から仙台以北へ直通する長距離列車は常磐線を経由したほうが、東北本線の運行密度も緩和される。この事情は、機関車の動力が蒸気から電気になっても変わらない。そうした事情から、上野から仙台以北へ直通する長距離列車、特に深夜帯の停車駅が少ない夜行列車にとっては、かつては常磐線の方がメインルートであった。
その筆頭格が、本作品の舞台となった「ゆうづる」である。昭和40年10月に急行列車から格上げされた際に命名。その前年(昭和39年)に登場した東北本線経由の「はくつる」よりも運行本数が多く、最盛期には一晩に7往復も設定されていた「ゆうづる」は、まさしく上野~青森間を直通する夜行列車の主役だったと言えよう。
ちなみに、両列車はいずれも、ツルが悠然と空を飛ぶ図柄のトレインマークを掲げていた。タンチョウヅルが生息する北海道への連絡特急としての使命に由来する、と言われている。
東北初の個室寝台は「ゆうづる」に登場
かように「上野発の夜行列車」を象徴する存在だった「ゆうづる」だが、肝心の寝台車両はデビュー当初から一般開放型、つまりカーテン一枚で仕切るだけの車両のみであった。「ゆうづる」に限らず、国鉄は、東海道本線を往来する東京発着の九州方面行きブルートレインにばかり、個室寝台車を集中して投入していたのだ。旅客列車の車内設備のグレードに関する限り、明らかに、東北地方は太平洋ベルト地帯よりも格下扱いだった。
そのような地域格差の伝統を初めて打ち破ったのが「ゆうづる」である。昭和62年3月、国鉄が分割・民営化されるわずか11日前に、毎日運行の2往復のうち1往復に、二人用個室A寝台車が1両だけ連結されたのである。本作品の舞台となる「ゆうづる5号」(青森発の上りは6号)がそれに当たる。
国鉄の個室A寝台はそれまで一人用しかなく、もともとは上級のビジネス客を想定していると言われていた。だから二人用の個室A寝台は、夫婦やカップルなども専用空間でゆったりとした夜行列車の一夜を楽しめるように、という新しい旅のスタイルを世に提示する意味を持っていた。それが、日本全国の個室寝台を独占していた東海道のブルートレインを差し置いて東北を走る「ゆうづる」で行われたのは、日本の鉄道史上画期的なことだったと言ってよい。
「北斗星」に受け継がれた「ゆうづる」の系譜
この新型個室寝台の「ゆうづる」投入が試行的な取組みだったことは、当時の市販の時刻表からも読み取れる。『交通公社時刻表』(現在の『JTB時刻表』)の昭和62年4月号を開くと、登場したばかりのこの新しい個室寝台は、単に「A寝台2人用個室」としか紹介されていない。九州ブルートレインに連結されている格下のB寝台個室には2人用に「デュエット」、4人用に「カルテット」と愛称が付けられているのに、である。
ところが、一年後の昭和63年3月号によれば、開通したばかりの青函トンネルを経由して上野から札幌まで直通する新しい寝台特急「北斗星」に、「A寝台2人用個室」が充当され、「ツインデラックス」という愛称が付されている。実は、この「北斗星」に登場したツインデラックスは、青函トンネル開通後は「北斗星」に移行する前提で「ゆうづる」に連結されていた二人用個室A寝台車なのだ。
しかも、「北斗星」の運行ダイヤ自体が、「ゆうづる」の一部の列車を東北本線経由に振り替えることによって誕生している。つまり、後に北の大地を目指す豪華寝台特急として大好評を博し、平成の世を席巻して平成27年まで走り続けたブルートレイン「北斗星」は、車両もダイヤも、「ゆうづる」の系譜を受け継いでいたことになる。
新しい個室寝台の旅の可能性を予感させた
本作品に描かれている「ゆうづる」の個室寝台の様子は、「北斗星」での本格デビュー以前の、まだ愛称もなかった試験運用的時期の貴重な車内レポートともなっている。
この個室のドアは、内側から、カギが、かかるようになっている。
と、いっても、カンヌキがかかるだけである。
カギ穴はあるが、キーは、渡されていなかった。
従って、外へ出た時は、部屋には、誰でも入れる状態になってしまう。
国鉄時代の東海道ブルートレインでは、個室のカギは乗客に渡されなかった。だから、室内にいるときは内側からカギをかけられるが、トイレや洗面所や食堂車へ行くときは、個室を無人にしたまま部屋を空けなければならなかった。
その方式が、「ゆうづる」でも踏襲されていたのだ。単なる車内設備とサービスの描写だが、昭和62年当時の旅客の安全やプライバシーに対する考え方が、現在と大きく異なっていたことを窺わせる。
個室寝台のカギは「北斗星」以降、旅客に貸与されたり、カードキー方式に改造されたりするようになった。ただ、そうすると、「外へ出た時は、部屋には、誰でも入れる状態」にはならない。「ゆうづる」時代だからこそ、ミステリーの一部となり得たのだ。
一方で、作中の登場人物に、こんな所感を抱かせてもいる。
「さくら」の一人用個室に乗った時は、その狭さに往生したが、こちらは、二人用だけに、かなり広くて、圧迫感はなかった。
「さくら」とは、東京~長崎間を走る東海道ブルートレインである。室内のテレビやライティングデスクについての細かな説明や、同乗の若い女性の嬉しそうな様子のくだりと合わせて、広々とした室内から、既存の個室寝台とは一線を画した新しいタイプの夜行列車の旅を予感しているようだ。それは、取材で全国の夜行列車に乗ってきた作者自身の感想でもあるのだろう。
だが、本編の末尾に「おことわり」として「寝台特急『ゆうづる5号』および青函連絡船は昭和63年3月12日で運転中止となりました」と注記されている通り、この東北初の個室寝台車は、デビューから一年も経たずに姿を消してしまった。実際には前記の通り、「北斗星」へと発展的に統合して試験的な運用が予定通り終了しただけなのだが、その後、「ゆうづる」に再び個室寝台が連結されることはなく、平成5年11月限りで定期運行を終了している。今は、常磐線に夜行列車が走っていたことを知る人も少なくなりつつある。
トラベルミステリーの第一人者である作者は、個室寝台が長らく東海道ブルートレインの専売特許のような存在だったことを、よく知っていたはずである。その個室寝台が初めて東北の地を走ることにいち早く目をつけ、本作品で初めて、東北の地で個室寝台のトラベルミステリーを実現させた。その先見の明は結果として、明治以来の伝統を持つ常磐線回りの「上野発の夜行列車」が散り際に見せた、徒花のような一瞬の輝きを見事に切り取っている。