書評

豪華寝台列車の先駆けとなった「上野発の夜行列車」散り際の輝き

文: 小牟田 哲彦 (作家)

『寝台特急「ゆうづる」の女』(西村 京太郎)

『寝台特急「ゆうづる」の女』(西村 京太郎)

 昭和63年3月に青函トンネルが開通するまで、青森は、本州の鉄道にとって北の絶対的終着駅だった。

 北海道を目指す旅客の主流はすでに航空機へと移っていたが、それでも、青函連絡船との接続が考慮された特急・急行列車が多数設定されていた。航空機や新幹線の恩恵を受けない途中駅の利用者にとっては、北海道を目指すにしてもその手前の駅で降りるにしても、とにかく青森まで走る列車があればそれに乗ればよいことになる。

 さらに、首都圏では「東北方面の長距離列車のターミナルは上野である」という明治以来の慣習が存在し、社会的に定着していた。かくして、首都圏から東北方面へ向かう長距離列車の多くは「上野発青森行き」とほぼ固定され、「上野発の夜行列車」は青森が終点であると、歌謡曲のメロディーとともに全国民に認知されるに至った。

 この「上野発の夜行列車」は、たどるルートが多彩であった。東北地方の大動脈である東北本線に限らず、内陸部の奥羽本線や日本海沿岸の羽越本線など、さまざまな路線に分散して走り、最終目的地の青森を目指していた。これは、首都圏から関西や九州方面を目指す夜行列車がわざわざ中央本線や山陰本線へと迂回せず、ほぼ一律に東海道本線と山陽本線のみを走破している点との大きな違いである。

 

常磐線は東北夜行のメインルートだった

 そうした多様な「上野発の夜行列車」の中に、常磐線を太平洋沿いに北上する列車が、明治時代から存在していた。上り坂の登攀力に難がある蒸気機関車が牽引する長距離列車にとって、海岸付近を走る常磐線は、内陸部を走る東北本線よりも路線全体が平坦で勾配が少なく、走りやすかったからである。

 また、東北本線は磐越西線や奥羽本線へ直通する列車も走ることから、上野から仙台以北へ直通する長距離列車は常磐線を経由したほうが、東北本線の運行密度も緩和される。この事情は、機関車の動力が蒸気から電気になっても変わらない。そうした事情から、上野から仙台以北へ直通する長距離列車、特に深夜帯の停車駅が少ない夜行列車にとっては、かつては常磐線の方がメインルートであった。

 その筆頭格が、本作品の舞台となった「ゆうづる」である。昭和40年10月に急行列車から格上げされた際に命名。その前年(昭和39年)に登場した東北本線経由の「はくつる」よりも運行本数が多く、最盛期には一晩に7往復も設定されていた「ゆうづる」は、まさしく上野~青森間を直通する夜行列車の主役だったと言えよう。

 ちなみに、両列車はいずれも、ツルが悠然と空を飛ぶ図柄のトレインマークを掲げていた。タンチョウヅルが生息する北海道への連絡特急としての使命に由来する、と言われている。

寝台特急「ゆうづる」の女西村京太郎

定価:本体730円+税発売日:2020年08月05日


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