- 2020.08.08
- コラム・エッセイ
今も書店であの黄色と出会えること──『カラフル』(森 絵都・著)
森 絵都 (作家)
「週刊読書人」2020年7月31日号掲載
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
作家になってからもうじき三十年になりますが、私は書店で自分の本を買ったことがありません。もったいないからです。お金が惜しいのではなく、せっかく書店に置いてもらっている自著をみずから消してしまうのが忍びないのです。それはデビュー後、発行部数の少なかった自著を書店で滅多に見かけない、という日々が長く続いたが故に沁みついた貧乏根性かもしれません。
どうかその棚にへばりついていてね。誰かに見つけてもらうまで。ごく稀に書店で自著を見かけるたび、そんな念をひしと送り続けていた私の周辺が急にざわつきだしたのは、作家生活八年目、黄色い表紙の『カラフル』という本を上梓した直後のことでした。
ちなみに、あの黄色い表紙を生んだのは、当時二十代半ばだった担当編集者です。『カラフル』なのだからカラフルな装丁にしようとか、人気の漫画家に依頼しようとか、あれこれ案を出し合いながらもなかなか決まらずにいた頃、ある日突然、その編集者が自信満々に「黄色一色でいきましょう」とイエロー路線を打ち出したのです。なぜ黄色? と最初は戸惑いましたが、ブックデザインを池田進吾さんに、イラストを長崎訓子さんにお願いしたところ、ちょっとそれまでなかったようなぴかぴかの本が誕生しました。
「森さん、やりました!」
編集者から興奮の声で告げられたのは、その新刊が書店に並んで間もない頃でした。
「池袋の××書店から電話があって、『カラフル』が週間売り上げランキングの二十位以内に入ったそうです!」
驚きで声をなくした私に、続けて彼は言いました。
「無名の作家じゃまずないことみたいで、会社ぐるみで何かしたんじゃないですかって、なんか僕たち疑われちゃいました。アハハ」
あの嬉しそうな笑い声が今も忘れられませんが、確かに、疑われても不思議はないくらい、それは異例の展開でした。そして、この一件を皮切りに、『カラフル』は見る見る世に広まっていったのです。映像化、海外出版、多くの得難い出会いーーあの一冊がもたらしてくれた恩恵は数知れません。何よりありがたいのは、刊行から二十二年目の今も尚、多くの書店であの黄色と出会えることです。
書店に自分の本があるのは決して当たり前のことじゃない。デビュー当初の思いを忘れないために、私は今も自分の本を買いません。
(「週刊読書人」2020年7月31日号掲載)